「泣けるほど頑張るラガーマン」トンプソン”引退マッチ”に1万4599人。なぜ彼はこれほどまでに愛されたのか?
タッチラインへボールを蹴り出した瞬間に試合が終わるのに、近鉄ライナーズは攻め続けた。後半の40分をすでに終え、スコアも69-0と圧倒的にリードしている。それでもプレーを途切れさせなかった理由は、有終の美を飾るトライを鉄人に決めさせたかったからだ。 2部にあたるトップチャレンジリーグでは異例となる、1万4599人の観衆で埋まった聖地・秩父宮ラグビー場も呼応する。2020年1月19日をもって現役に別れを告げるワールドカップ戦士、トンプソン・ルークのトライを期待する「トモコール」が何度も鳴り響いた。 日本代表を含めたチームメイトたちから愛称の「トモ」で、自らは自虐的に「おじいちゃん」と呼ぶトンプソンに絶好のチャンスが訪れたのは、時計の針が50分を回った直後だった。 敵陣のゴールライン付近で形成されたラックから、右後方にポジションを取っていたトンプソンに絶妙のタイミングでパスが出た。直後に膨らんだ「突っ込め」という願いは背番号4がパスを選択し、フルバックのセミシ・マシレワのトライをお膳立てした瞬間に、ため息へと変わった。 「もちろんやりたいけど足が遅い。10年前なら走っていたかもしれないけど。それより、チームが勝てばいい。今日はチームが優勝したことが何よりも嬉しい。だから特別な日になりました」 どんな状況でも個人よりもチームを優先させてきたトンプソンが、試合後に屈託なく笑った。空中と地上とで繰り広げられる相手との肉弾戦へ、身長196cm体重110kgの巨体をいの一番に捧げてきた38歳の巨漢ロックは、最後の瞬間まで脇役に徹するプレースタイルを貫いた。
今シーズン限りでスパイクを脱ぐと表明していたトンプソンは、栗田工業ウォーターガッシュとのトップチャレンジリーグ最終節、つまり現役最後の一戦のキックオフを前にして、有水剛志ヘッドコーチへ「今日は80分間出させてください」と申し出ていた。 釜石シーウェイブスRFCを76-12で下し、全勝優勝へ王手をかけた前節で、接触プレーで左耳の裏から流血したトンプソンは後半途中での交代を余儀なくされていた。栗田工業戦でも患部にはテーピングが施され、左目の下には大きなあざもできていたが、欠場する理由にはならなかった。 ラグビー王国ニュージーランドから来日したのは2004年。当初所属したトップリーグの三洋電機ワイルドナイツでは外国人枠の関係で出場機会を得られず、2006年に古豪の近鉄へ移籍した。住居を構えた東大阪市を心から気に入り、日々の練習へは自転車、それも前後に子どもを乗せられる“ママチャリ”で通い、いまでは「毎度!」や「おおきに!」と関西弁を使いこなす。 2007年に初めて日の丸を背負い、2010年には日本国籍を取得。日本代表が初めてベスト8へ進出した昨秋のワールドカップ日本大会終了時で、獲得したキャップ数は海外出身選手では最多の「71」に達した。4度のワールドカップを含めて熱き魂を捧げてきた桜のジャージーに、南アフリカ代表に屈した準々決勝をもって、そして近鉄のそれにも栗田工業戦をもって別れを告げた。 「ジャージーはすごい誇り(に思い)ます。本当に特別。近鉄のジャージーと日本代表のジャージーはむちゃくちゃ大事ね」 望み通りにフル出場を果たした試合後の記者会見室。ところどころが汚れ、芝生もこびりついているジャージー姿でひな壇に座ったトンプソンは、関西人らしく笑いを誘うことも忘れなかった。 「いまの感じは、ちょっと疲れた。シャワーほしい。ちょっとこれ、臭いね」