【吉田秀彦連載#15】高山さんと“あの試合”をしたフライと対戦…マジかよ
【波瀾万丈 吉田秀彦物語(15)】2002年8月28日に国立競技場で行われた格闘技デビュー戦で柔術出身のホイス・グレイシー(ブラジル)を袖車で絞め落として一本勝ちしました。ホイスに勝ち、充実感がありました。 当時は柔道では使わない技を研究し、いろんな発見をしましたね。柔道の試合では「この試合めがけて次は勝たないと」というプレッシャーで毎回、追い詰められていました。でも格闘技では心に余裕があり、練習にしても試合にしても、それがやっぱり楽しかった。 新しい技も開発しましたね。ヨシロック? そうです、自分の柔道衣の裾で相手の顔を覆って絞める技でした。柔術の技はわかっていませんでしたが、柔道で格闘技に使える技がないかとマメに研究していました。その中で、たまたま見つかりました。 デビュー2戦目ではいよいよ打撃ありの総合格闘技ルールを戦うことになります。相手は元UFC覇者ドン・フライでした。自分がやりたかったって? そんなわけないでしょう! 指名できるなら、もっと弱いやつを指名しますよ。 しかも自分との試合の前は高山(善廣)さんとの“あの試合”(※1)ですから。フライが高山さんとボコボコに殴り合っているのを見て「マジ、これはやりたくねえ」「こんなの、絶対無理だ」と心底、思いました(笑い)。まだ格闘技デビュー前だったんで「俺はこんなこと、やらなきゃいけないのか」と…。 まして、これが打撃ありの初戦ですから。フライがプロレスでも活躍していたことも知っていたけど、やっぱり、高山さんとの試合が強烈に頭の中に刷り込まれていました。だから2戦目の相手がフライだと知った時は「マジかよ」って。それだけでした(笑い)。 もちろん格闘技の「仕事」としてオファーを断ることはできません。ちなみに対戦相手について自分から「やりたい」とオファーしたことは1回もないです。逆にDSE(※2)から来たオファーを断ったことは一度もないです。「仕事だから仕方ない」とプライドを持って全部、受けて立ちました。 強敵のフライにどうやって勝てばいいのか。自分の立てた対策は「殴られたら終わり。殴り合わない」ということでした。総合格闘技ルールの初戦だったので、自分にしては慎重な考えでしたが「いかに殴り合わず、決めるか」ということに狙いを定めましたね。 そして自身初めての東京ドームのリングで、強敵と対峙します。 ※1 02年6月23日にさいたまスーパーアリーナで行われた「PRIDE.21」のメインイベント。フライと高山がひたすら殴り合い、両者の顔面が変形する壮絶な死闘となった。フライがTKO勝ちしたが、格闘技史上屈指の名勝負として知られる。 ※2 PRIDEを運営した「ドリームステージエンターテインメント」。
吉田秀彦