【財政破綻国家スリランカを歩く(第6回)】かつて輸出量世界一“セイロン・コーヒー”のルネッサンス
『2023.11.11~12.28 47日間 総費用22万円(航空券8万7000円含む)』
スリランカと云えば紅茶「セイロン・ティー」ですが……
スリランカが世界有数の紅茶生産地であることは誰でも知っている。スリランカ島の南半分の高原地帯は紅茶畑が広がる紅茶生産の中心地帯である。そしてキャンディー、ヌワラ・エリア、ハプタレーなどの町は広大な紅茶農園(tea plantation)で生産された紅茶の集散地として発達してきた。 紅茶の生育に適した夏でも涼しい高原地帯なのでこうした紅茶集散地の町は同時に英国人たちの避暑地としても開発されホテルや別荘が紅茶畑の間に点在している。そして現在では世界各国からの観光客が訪れる観光地になっている。
スリランカはかつて大英帝国時代コーヒー生産地だった?
12月2日。キャンディー湖畔の町の中心地であるクイーンズ・ホテル前の広場の由緒ありそうな大英帝国植民地時代制作とみられるゴシック風の噴水があった。興味を惹かれ碑文を読んで驚いた。石碑には『皇太子殿下(プリンス・オブ・ウェールズ)のご訪問を記念してセイロンのコーヒー農園主一同(COFFEE PLANTERS OF CEYLON)が噴水を建設した。1875年12月』と刻まれていた。 1875年といえばビクトリア女王の御代で大英帝国が7つの海を支配した黄金時代である。そして皇太子とはビクトリア女王とアルバート公の長男であり後の国王エドワード7世である。この時代に紅茶農園主ではなくコーヒー農園主がスリランカを代表して皇太子訪問を接遇したことに大きな疑問を感じた。
クイーンズ・ホテルでの皇太子歓迎晩餐会と舞踏会
キャンディーの町で一番古い教会は英国国教会であり1840年創設である。次に歴史がある現役建造物は1844年創業のクイーンズ・ホテルである。滞在中に皇太子一行が逗留したに違いないと判断した。皇太子をコーヒー農園主たちが“おもてなし”した記録を探しにホテルに行ったが、残念ながら古くからいる総支配人が不在で分からないと。 ちなみにこうした歴史のある名門ホテルでは王侯貴族、映画俳優、作曲家、作家など歴史上のセレブが投宿時に署名した宿帳を大切に保存している。名門ホテルでこうした宿帳を見て往時のエピソードを支配人から聞くのも放浪旅の楽しみの一つだ。 クイーンズ・ホテルの建物・内装・調度品はほとんど創業時のオリジナルで歴史を感じさせる。往時の写真や資料・骨董品を飾ってあるミュージアム・バーを見て回るとやはり皇太子歓迎晩餐会や舞踏会の写真があった。