大人にとっての「正義」とは何か?【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第26回
■五十嵐が体験した正義に関する個人的葛藤 五十嵐 「正義」といえば、個人的にすごく忘れられない経験があるんです。あるとき、2人の子どもが泣いている場面に遭遇しました。で、そのそばには男がひとり。その姿を見て、ちょっと違和感を覚えたんです。親に怒られているようにも見えるし、変な大人に絡まれているようにも見えたから。 里崎 それで、亮太はどうしたの? 五十嵐 時間があったので、「ちょっと様子を見てみよう」と、離れたところから見ていたんです。すると、僕と同じように異変を察した人がすぐに子どもの下に近づいて、「どうしたの?」と声をかけた。そして、その大人に対して「お子さんですか?」と尋ねた。すると、その男は「違うよ」とろれつが回らない様子で答えていました。結果的に、その子どもたちは酔っ払いに絡まれていたんです。それで、「何かあったら大変だ」と思って僕も駆けつけたんです。 里崎 亮太も駆けつけたんだ。偉いね。 五十嵐 いや、僕は子どもたちに声をかける勇気がなかった。遠くから様子を見た自分、声をかけられなかった自分を考えると、「オレは守りに入っていたなぁ」と。そう思うと同時に、最初に声をかけた人は正義感にあふれた人だと思うし、守りに入った自分には正義感がなかった。別に「ヒーローになりたい」とは思っていないけど、「あぁ、オレはヒーローにはなれないな」と思いましたね。 里崎 でも、見て見ぬふりして立ち去ることなく、異変を察してその場に残ったこともそうだし、2番目とはいえ、最初に声をかけた人のために加勢したわけだし、亮太は亮太なりの正義を貫いたと言えるんじゃないの? 五十嵐 さっきも言ったように、声をかける勇気がなかったし、「守りに入った」のは確かだし......。やっぱり、もしも何かがあった場合、とっさに声をかけられるかどうかというのが大切になるじゃないですか。とっさに行動できる人、遠くから見守る人、そこにはとても大きな差があると思いますね。 里崎 でも、とっさに行動した結果、相手に攻撃されることも起こりうるでしょ。新幹線車内でも、そういう事件があったし、亮太の取った行動は冷静で、慎重な判断としてアリだと思うけど。