【回顧2024】最後の日朝首脳会談から20年…切られなかった「訪朝カード」拉致被害者・曽我ひとみさん単独インタビュー
こうして実現した2002年9月に行われた日朝首脳会談の席。金正日総書記(当時)は、「誠に忌まわしい出来事で率直におわびしたい。関係者の処罰を行った。」と、初めて拉致を認め謝罪。5人が生存、8人が死亡したと伝えました。この年、曽我ひとみさんは、夫ジェンキンスさんと娘2人を北朝鮮に残し、日本に帰国。しかし、一緒に拉致された母の行方は分からないままでした。 曽我ひとみさん 「(母の消息は)日本の調査団が来たときに聞きました。『お母さんは日本にはいませんよ』と。今までずっと騙されてきたんだなという気持ちと、じゃあどこであれからどうしたんだろうって」 2年後の2004年には2度目の日朝首脳会談が行われ、その結果、曽我さんは、インドネシアで夫・娘との再会を果たしました。
曽我ひとみさん (Qあのときジェンキンスさんにどんな言葉をかけた?) 『ごめんね』って言った気がします。会えない期間があったので、一緒にいられなかったから。」
■最後の日朝首脳会談から20年 岸田首相“訪朝カード”に注目も
それから20年。北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」と主張し、いまも首脳会談には至っていません。日本側は、「8人の死亡を裏付けるものがない」として、被害者の即時帰国と納得のいく説明を求め続けていますが、目立った進展はないままです。
膠着状態が続く中、拉致問題を生徒たちに課外授業などで伝え続ける教師がいます。東京・立川市立第七中学校の佐藤佐知典教諭。佐藤教諭は、新潟出身で、妹が横田めぐみさんと中学校の同じ学年でした。めぐみさんの両親を招き、学校で講演会を行ったことも。 生徒 「一番感じたのは、考え続けなければならないということ。続けないと何も変わらないし そのまま拉致問題も風化されてしまうし…」 生徒 「今こうして自分が学校に来ることができていたり、そういう当たり前のことも決して当たり前じゃないから、日々生活できていることにありがたく過ごしていきたいと思っています。」 ただ、年々、拉致に対する関心の低下を感じていると言います。 立川市立第七中学校 佐藤佐知典教諭 「一人のめぐみさんが、中学生が拉致されたいなくなったことは、一教員として全教員の先生方がもう頭の隅に入っていると思うんですけど、知識としては正直教員で拉致問題について関心を持っている方が本当に減ってしまって、若い先生方にお願いしますと言っているのですけどね」 最後の日朝首脳会談から20年。事態の打開に向けた動きは、再び活発になりつつあります。2023年、曽我ひとみさんと面会した岸田首相(当時)は、「日朝首脳会談を早急に開催するべく私直轄のハイレベルでの協議を行っていきたい」と述べました。
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