ドラマ『パチンコ』が描いた、大阪のある街の歴史と“今”。コリアタウンがある背景知らない人も…。学べる場所を作る意義
歴史を残す「地域の資料館」。学生が訪れ、在日3、4世がルーツ学べる場所にも
「地域の資料館」としての意味合いを込めて名付けられた「大阪コリアタウン歴史資料館」は、2023年4月にオープン。 日本では資料館や博物館の館長の大半はまだまだ男性が占めている中で、館長が女性であることにもこだわり、この地域で生まれ育ち、大阪の在日コリアンの調査をしてきた髙さんが館長に就任した。 資料館は、大阪コリアタウンの目抜通りである御幸通りから少し入った場所に位置する。 資料館の入り口前に置かれた「共生の碑」の背面には、詩人・金時鐘さんによる「献詩」が刻まれている。その詩からは、日本による植民地支配の中で朝鮮半島から猪飼野の地に渡り、暮らしの根を張ってきた在日コリアンの軌跡が浮かび上がる。 資料館の奥にはカフェを作り、誰もが入りやすいよう工夫をしている。 建物は、修学旅行生などが韓国の文化を学べるようにと、2003年にカルチャースペース「班家食工房」をコリアタウンにオープンした徳山物産創業者・洪呂杓さんの長男である洪性翊さんが、アート活動のアトリエやギャラリーとして使っていた場所を無償で提供した。 館長の髙さんは「在日コリアンの歴史を知ることが、日本と朝鮮半島の歴史や繋がりを知ることにもなる」とし、こう話す。 「隣近所の人が、もしかしたら在日コリアンかもしれないということにも思いを巡らせてほしい。文化や地域の歴史を知ることで、この地域で生きてきた在日コリアンについても、興味を持ってもらえればと思います」 個人で訪れる人たちの他に、小学校から大学まで多くの学生が課外授業やフィールドワークで訪れ、会社の人権研修の一環として訪れる団体客も。オープンから1年半で1万5000人が来館した。 在日コリアン生活史の研究者で、資料館の副館長を務める伊地知紀子さん(大阪公立大学大学院教授)は、「大阪コリアタウンを訪れた人たちにもふらっと入ってきてほしいし、在日3世や4世の若者たちが自分のルーツや生まれ育った地域について学べる場所でもあってほしい」と話す。 「在日コリアンと一言に言っても、様々なバックグラウンドを持つ人が増えていて、3世や4世の若者は植民地時代に日本に渡った1世や2世とは違い、自分のルーツを知りたい時に気軽に立ち寄って学ぶ場所がないという問題もありました。開館してからは、『ルーツを探したい』と訪れる在日コリアンの若者もいて、それぞれのペースで学べる場所になればと思います」(伊地知さん) 館内では時代別にタッチパネルのモニターも設置し、1930・40年代の猪飼野などの貴重な写真などを見ることもできる。