ドラマ『パチンコ』が描いた、大阪のある街の歴史と“今”。コリアタウンがある背景知らない人も…。学べる場所を作る意義
歴史を“記録”する場所をつくる意味。コリアタウンがある背景知らない人も
引き続き在日コリアンの集住地区としてあり続け、在日コリアンの商売人たちが食材店や飲食店を切り盛りする一方で、時代の移り変わりと共に、商店街を訪れる人たちの中には「なぜそこにコリアタウンがあるのか」を知らない人たちも増えていった。 そんな中で、地域の在日コリアンの商店主や生野で活動する研究者など多くの人が「大阪コリアタウンの歴史や大阪に渡ってきた在日コリアンについて学べる場所を作るべき」という思いを募らせていったという。 東京には在日韓人歴史資料館(港区南麻布)や高麗博物館(新宿区大久保)、京都にはウトロ平和祈念館(宇治市伊勢田町ウトロ)がある一方で、「日本で一番在日コリアンが多い地域なのに資料館がない」と、大阪でも資料館をつくろうという動きが広まっていった。 大阪コリアタウン歴史資料館の館長で、この土地で生まれ育った在日コリアン2世の髙正子(こぉちょんじゃ)さんは、多くの人が訪れ、賑い続けるコリアタウンを見て喜ばしい気持ちがある一方で、「韓国を追体験するような商店街を見ていると、在日コリアンの存在が『なかったこと』にされてしまうのではないかと感じる時もあった」と話す。 髙さんが幼い頃、市場の近くにあった祖母の家を訪ねる度に歩いた「朝鮮市場」は、にんにくやキムチの匂いがし、在日コリアンの人々の暮らしや食文化が垣間見える場所だった。 在日コリアンの商売人たちが、焼肉やキムチなどの食文化を発信し続けてきたことが地域の発展に繋がったのは確かだが、客層も、それに伴う店の種類も変化した現在のコリアタウンを訪れる人の中には、この土地における在日コリアンの歴史を知らない人も少なくない。 「商店主さんたちが努力を重ねて、たくさんの人が来るようになりました。一方で、古くからここにいる私たちにとっては、 私たち在日コリアンの存在そのものが忘れ去られてしまうのではないかという危機感もあります。 在日コリアンがこの地に定着し、築いてきた歴史や文化を、記録として残していかなければ、『朝鮮から大阪へ人々が渡った植民地期』と『コリアタウンとして韓国化して賑わう現在』の間に歴史の『空白』ができてしまう。その間にあった在日コリアンのあらゆる営みがなかったことになってしまう。歴史を『繋げる』ための資料館が必要だと感じていました」(髙さん) 大阪コリアタウンには観光客だけでなく、地域の学生や修学旅行生がフィールドワークに来ることもある。長年、大学などで韓国語を教えてきた髙さんも、教室での講義以外に、年に一度はコリアタウンを皆で訪れて歴史や文化を学ぶフィールドワークをしていた。 その際にも、在日コリアンの歴史を学べる場所があればと常々思っていたという。 資料館設立に向けて有志が集まって構想を練り、寄付を募ると、目標の3000万円を9カ月で達成した。他国に比べて寄付文化があまりない日本だが、各地から寄付が集まり「こういうのを待っていた」という声が寄せられた。