東京タワーが開業55周年 「脱・観光地」目指す
東京タワーが12月23日に開業55周年を迎えた。いわずと知れた人気観光スポットで、今年6月には通算の来場者が1億7000万人を突破。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」など映画や歌などに登場することも多く、近年は、趣向を凝らしたライトアップの印象も強い。東京スカイツリーがオープンし、電波塔としての役割の多くは譲ったが、東京の中心にあって、いまなお強い輝きを放っている。 【図解】2012年5月に開業 スカイツリーを数字で読み解く この55年はどんな時代だったのか、東京スカイツリー開業後の戦略は何か、東京タワーを運営する日本電波塔株式会社の取締役常務執行役員の東海林晃氏に聞いた。
総合電波塔として誕生
東京タワー(東京都港区)は1958年12月23日に総合電波塔として開業した。建設期間は1年半で、総工費は当時の金額で約28億円。設計は、通天閣(1955年)や名古屋テレビ塔(1954年)と同じ内藤多仲(ないとう・たちゅう)が受け持った。高さは333メートルで、当時は仏エッフェル塔をしのぎ、自立鉄塔としては世界一の高さを誇った。本来の役割は、関東一円にテレビやラジオの電波を届けることで、1959年にテレビ各局の電波発射を開始。しかし半世紀後の2013年5月、NHKと民放5局の電波送信は東京スカイツリーに切り替わった。 ちなみに、東京タワーの高さ「333メートル」という数字は、関東エリアの半径100キロ圏の電波をカバーするために必要な高さとして設計されたもの。偶然ではあるがオープンした1958年は昭和33年である。
開業翌年に493万人の来場者
東海林常務は「この55年で、東京タワーから見える景色もすいぶん変わった」と話す。大展望台は150メートル、特別展望台は250メートルの高さから、東京を一望できる。当時は、東京タワー周辺には霞が関ビルや世界貿易センタービル(浜松町)などしか高いビルがなかった。存在感は相当なものだったはずだ。 総合電波塔として建設された東京タワーだったが、当時としては規格外の高さと、東京都港区という立地、赤と白で彩られた美しいフォルムで、すぐに観光名所として定着していく。来場者は開業翌年の1959年度に史上最高の493万人を記録。開業当初は「何もしなくてもお客さんが来る状態。イベントをすると逆に混乱が起こる危険があるくらいだった」(東海林常務)で、東京タワーの入場客が「タワーの周りをぐるぐる巻いて、もみじ谷から増上寺の脇を通って浜松町の近くまで並んでいた」という。 それから昭和年代、来場者は修学旅行や「はとバス」などの団体客が中心で、それなりに安定した集客があったが、昭和50年代には、池袋のサンシャイン60(1978年)や東京ディズニーランド(1983年)などさまざまな観光施設がオープンし、昭和の終わりごろには、年間200万人台にまで落ち込んでいた。