「現代アートのユートピア」ドイツから失われる自由――ガザ紛争が引き起こした21世紀の「文化闘争」
ベルリン国際映画祭のボイコットを呼びかけ
すでに、ドイツの文化機関をボイコットしようという、カルチャーワーカーによる「ストライク・ジャーマニー」というキャンペーンがある。ドイツで開催される国際的な現代アート展「ドクメンタ」を1997年に統括したフランスのカトリーヌ・デイヴィッドや、英国の現代アートで最も重要なターナー賞の受賞者など、著名アーティストもこの動きに賛同し、署名している。 同キャンペーンが目下ボイコットの対象にしようと訴えているのは、2025年2月に開催される「ベルリン国際映画祭」だ。元々政治的なメッセージ性の強い作品が多く上映されることで知られてきた。 2024年の同映画祭では、受賞者が相次いでパレスチナへの連帯を訴え、停戦を求めた。それゆえに、同映画祭への批判、文化機関に対する監視強化を求める声がドイツで高まった。特に波紋を呼んだのは、イスラエルとパレスチナ出身のアクティビストが共同監督し、最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したドキュメンタリー『ノー・アザー・ランド』だ。ヨルダン川西岸地域でパレスチナ人の村がイスラエル人によって破壊され、奪われていくという現実を映し出した作品だ。イスラエル人のユヴァル・アブラハム監督は、受賞スピーチでパレスチナ人の置かれた「アパルトヘイトのような状況」を批判し、ガザでの停戦を呼びかけた。これに対しロス連邦文化大臣は「一方的で、イスラエルに対する深い憎悪に特徴づけられる」と批判した。11月の「反ユダヤ主義」決議でも、この映画祭でのエピソードが「反ユダヤ主義」の例として挙げられている。 ホロコースト生存者の孫でもあるアブラハム氏はドイツで「反ユダヤ主義者」とレッテルを貼られたため、イスラエルで殺害予告を受け、家族も危険にさらされたことを英紙「ガーディアン」に明らかにしている。国際的にその騒動が注目された後、映画祭はこれまでとは異なるものになりそうだ。 今後のベルリンのカルチャーシーンはどんなものになるのだろうか。ソフィアは、統計はないものの、外国人アーティストがベルリンを離れる動きはすでにあると語った。 「今後のドイツは、今のドイツ政府の政策に政治的に賛成するアーティストにとっては、競争が減って良い状況になるだろう。ただ、私たちのような外国人アーティストは徐々に去っている。ベルリンの芸術性を高めていたのは、国際的なアーティストたちだ。今後もっと多くの人が去ると思うが、そうなればベルリンのアートシーンは狭まっていくだろう。政治的な発言をしないアーティストも、反ユダヤ主義者を糾弾する人たちにソーシャルメディア上での行動を厳しく監視されている。“検閲”を好む人はいないだろう」 別の都市で活躍する日本人アーティストは、自身は政治的発言をしていないものの、「利用されているような居心地の悪さ」があると打ち明けてくれた。「アートシーンを国際的に見せるため、“政治的に中立で無害な国”出身のアーティストが集められている」ように感じているそうだ。彼女の周囲では、複数のロシア出身のアーティストが政治的信条に関わらず展示を許されなかったという事例があったという。「文化局の職員は法的な手続きを踏んでいることを強調していたが、支援すべきでない出身国のリストなどがあるのだろう。市の美術館での最近の展示に思想がなく、薄っぺらいと言うアーティストの声を聞く」 アーティストの出身地や政治的信条をもとに、見せるべきアートを政府が決める。そんな状況を、2015年から4年ほどベルリンに暮らした中国出身の著名アーティストの艾未未は、「私は酷い政治的検閲の中で育った。現在の西側諸国ではまったく同じようなことが行われている」と英テレビ局「スカイニュース」に述べた。 ベルリン高等研究所のバーバラ・シュトルベルク所長は、「反ユダヤ主義決議によって、憲法で規定された科学の自由が大幅に脅かされる恐れがある」と、同決議決定の前日の記者会見で指摘した。 「反ユダヤ主義」を理由に言論の自由が縮小していくことで、文化だけでなく、広い分野で自由が今後ドイツで失われていくかもしれない。
フリーランスライター 駒林歩美