100回目の早明戦を前に両監督に聞く(下) お互いを「宿敵」「ライバル」…相手がいてこそ成長し続けた100年
大田尾「女子同士がお互いを好敵手と認めあうことが大事」
大田尾 神鳥監督と同じで、監督としてどうだって話はできないんですけど、私見として言えば、先ほど申し上げたように、この早明戦という対抗戦は、1年1年が積み重なって出来たものだと思うんです。「早明戦を盛り上げましょう」って目的で出来たものではなくて、試合を重ねて、早稲田が「明治さんは我々がすべてをかけて挑戦する相手」って認めて。明治から見ても「早稲田に勝ってやろう」と(お互いを良い相手と認めて)、そういう成り立ちだと思うんです。それが100回積み重なって、こういう意義のある試合が誕生している。 なので、その対抗戦の前に女子の早明戦をやったとして、そこにどういう意味が生まれるかと言ったら、それはちょっと違う話かなと思うんです。例えば、女子部が早明戦をやって、(男子の)早明戦と同じような意義を持つためには、やっぱり初年度から自分たちで積み重ねていかないと、全く意味が違うものになると思うんです。女子部に在籍している学生、監督、コーチが、どういうものを作り上げていくかというお互いの価値観が同じようなチームと(出会って)初めてそういうもの(対抗戦)が成り立つと思うんです。 ―お互いの力比べ、テストマッチがラグビーの根本思想だから、「女子部が出来たから」という理由だけで試合をするのではなく、お互いが相手を好敵手と認めあって初めて対抗戦が成り立つのであって、女子は女子の早明戦の歴史を作ることが大事。そういう意味合いでしょうか? それに近いですね。(男女の同時開催を)除外する、という意味ではないです。歴史というものは積み重ねて成り立つと思うんです。彼女たちはその1歩目を踏み出しているところで、変に男子と歩調を合わせなくていい。彼女たちは彼女たちの歴史をどう作っていくか、っていうのがすごく大事。その方が、一過性で終わらないと思うんです。 もちろん、最初の火付け、導入の意味では(男女の同時開催も)いいかもしれませんが、先をしっかり考えた時には、得策ではない気がします。(男女の同時開催は)あるかもしれないし、ないかもしれない。(女子部が)お互いが認め合ったライバルがいて、それが明治さんだったなら成り立つだろうと思います。だから、(男女の早明戦を開催することが目的化して)そこにありきで向かっていくのはちょっと違うかなと思います。