アイリスオーヤマの“憲法第1条”「利益を出せる仕組みこそ重要」はなぜ生まれたか
1973年のオイルショック直後は石油製品の需要が高まり、モノを作ればどんどん売れるという状態でした。トイレットペーパー同様、市場はプラスチック製品の買い占めに動き、ブイや育苗箱を作る大山ブロー工業所も設備を増強して需要に応えていました。最新設備を入れた仙台工場では150人ほどの社員が働いていました。 しかし、混乱が収束すると、仮需要のリバウンドで1975年を境に需要は急減。壮絶な値崩れが始まったのです。大山ブロー工業所の売り上げはたった2年間で、14億円から7億円に半減。工場の稼働率が下がり、売価が原価を下回ります。 直前に仙台工場をつくって規模を拡大したことで、借り入れは膨らんでいた。大量生産で効率化を図ろうとしたことが仇となったわけです。どのメーカーも在庫が山積みになり、売れば売るだけ赤字になる事態に陥ってしまいました。大山ブロー工業所も、10年間で築き上げてきた会社の資産をたった2年で失うことになったのです。 ■ 東大阪の工場を閉める もはや、2つの工場を抱える体力はありません。設備が新しく、規模も大きく、そしてメインマーケットに近い仙台工場を残し、父から継いだ東大阪の工場を閉める。これ以外に選択肢はありませんでした。 大阪から仙台への異動を承諾してくれた社員は4人。大阪で働いていた残り46人、そして仙台にいた社員150人の約半数に、辞めてもらうことになったのです。自社ブランド製品のブイ、育苗箱もヒットさせた。青年経営者の端くれのつもりでしたが、私のマネジメントのどこかに欠陥があったのです。 特定の製品でヒットを飛ばしても安泰ではない。わずか1、2年で会社は簡単に駄目になる。オイルショックのような環境変化が数年後に再度起きたら、もう会社は持ちません。競合他社に追随されて価格競争になれば、やはり利益率は大きく落ちるかもしれない。どんな時代環境においても利益を出せる経営とは、どのようなものか。二度とリストラをしないという強い思いを胸に、私は会社を抜本的につくり直すことにしたのです。 このときに誓った「いかなる時代環境においても利益の出せる仕組みを確立する」という言葉を、1991年に、大山ブロー工業所からアイリスオーヤマに社名変更したときに制定した企業理念の第1条に掲げることになります。 これは、いわばアイリスにおける“憲法第1条”です。企業理念というと、多くの会社では「顧客第一」や「社会貢献」の文言が最初に来るのではないでしょうか。利益を出すためには顧客や社会に貢献しなければならず、それらを後回しにするつもりはありません。ただ、二度とリストラをしないよう、利益を出し続けることが私の中で絶対条件でした。 仕組みという言葉にこだわったのは、個々の製品は重要ではないことをオイルショックで学んだからです。ヒット商品に頼っていると、製品開発力が弱まり、時代の変化に適応できなくなるというリスクも生じます。それを防ぐのが、仕組みです。
大山 健太郎