2003年大晦日 ボブ・サップの相手は曙ではなくマイク・タイソンのはずだった――「格闘技が紅白に勝った日」の真実
入管法の壁
「年末にバタバタするのは、別にどうってことないんです。雑誌編集長の頃も年末進行で忙しかったから。でも、2003年だけは異常。最初は他のイベントに対して『負けるもんか』みたいに燃えまくっていたけど、そのうち、どうでもよくなった。タイソンの来日問題が暗礁に乗り上げて、それどころじゃなくなったんです」(谷川貞治) 1951年に制定され、現在まで何度も改定を繰り返している「出入国管理及び難民認定法」には「国内外で一年以上の懲役刑、禁錮刑を受けた者は原則的に入国できない」とある。 マイク・タイソンほど、リング外でトラブルを起こしたプロボクサーはいない。世界王座から陥落した1990年以降は顕著で、代表的な事件が91年に起きた婦女暴行容疑である。「深夜1時に彼から『パーティをやってるから来ないか』と電話があって、出かけた先のホテルの部屋でレイプされた」とする被害者の主張は、公平な視点に立っても幾分疑わしくもあるが、判事と陪審員の心証を覆すには至らず、禁錮6年の有罪判決を受けてしまう(3年間の服役後に釈放)。 その後も逮捕と釈放を繰り返したタイソンは、2003年にも知人男性や、ファンを名乗る男性への暴行容疑で逮捕されている。日本に入国させられないことは明白であり、顧問弁護士は「極めて難しい」と谷川に告げた。 であるのに、当時のスポーツ紙を手繰ると「タイソン9月来日」「タイソンK-1視察」「横アリにタイソン登場」などの文字が連日、紙面を飾り、タイソンの来日を煽っている。マスコミに情報を流していたのはK-1事務局であるのは言うまでもない。どういうことか。 「今なら確実にアウトってわかるんだけど、当時は入管の判断が曖昧で、どっちに転ぶかわからない部分があったんです。それで、こういう記事を書かせることで、既成事実を作って世論を盛り上げたかった。もし、本当に来日ビザが下りたら、就労ビザも下りるに違いないから、あえて、こういうリリースを流し続けたんですよ」(谷川貞治) 加えて、あらゆるルートを駆使して入国を実現させる努力も怠らなかった。頼みになるのは、ここでも政治の力である。この時期、谷川は何人もの衆参国会議員と面会している。 「小泉総理に頼んでみましょうか」と具申したのは角田信朗である。「知り合いなんですか」と谷川が驚くと「こないだ『桜を見る会』で会ったので、面識だけはあるんです」と言う。「是非、お願いします」と懇願するも、梨の礫に終わった。「このとき、小泉さんは現職の首相だったから、本人にこの件が届いたら、案外いけたかもしれない」と谷川貞治は回想する。 程なくして、入管から連絡があった。それを受けて、大阪の情報番組に生出演したボブ・サップは、タイソン戦についてこう発言している。 「日本でダメなら米国でやればいい。ハワイなら日本と米国の中間地点だしな」(『スポーツ報知』2003年9月7日付)