「石破さんの認識は誤り」30年前の約束とは? 細川元総理が語った企業・団体献金「5年後見直し」の真意
■元総理の口から新証言「あのとき実は解散も考えた」 自民党政権を揺るがした1988年のリクルート事件や92年の東京佐川急便事件。当時、政治改革は急務だった。その機運は「今とは比べものにならないほど」だと細川氏は話した。93年、衆院を通過した政治改革関連4法案は、参院で同じ連立を組む社会党から多数の造反者が出て否決。社会党は小選挙区比例代表並立制の導入に根強い反対論があった。社会党出身の土井たか子衆院議長を訪ねた細川総理は、叱責された上、細川氏が求めた握手をはねのけたという。 参院での法案否決後、細川氏は急転直下、小選挙区制をめぐる自民党案を”ほぼ丸呑み”する形で成立へとこぎつけることとなる。その舞台裏で何を考えていたのか。新証言が出てきた。 ーー当時、リクルート事件や佐川急便事件があって政治改革の機運はどのくらい高かったのでしょうか。 それはもう今と比べ物にならないくらいあのときは強かったと思いますね。とにかく政治改革だけで旗が立ったわけですからね。 ーー30年前合意したものが今はないがしろにされているように見えます。 そうですね。それは本当に長年のそういう宿題をね、ちょうど今、こういう話も出てきて、いい機会だからぜひここで片付けてもらいたいと思いますね。 ーー当時、政治改革法案は衆院で可決されたものが参院で否決された。竹下内閣以来の政権の懸案だったが再び廃案に。当時はどう思っていたのでしょうか。 あのとき実を言うと解散も考えたんですよね。あのときに本当に思い切って解散をしていたら、だいぶ事態が変わってたかもしれませんね。小沢さん(新生党代表幹事)と2人で解散をやるかどうかっていう話もね、ちょっとしたんですよ。でもやっぱり5つの政権が変わったのかな、あの法案成立のためにね。やっぱりここまで来ているから、もう少し頑張らなきゃいかんかなということになって。結局頑張りすぎて、何とか本当にどんでん返しみたいな形で通しちゃったわけですけども、そこで解散という手もなくはなかったんですね。それをやってたら、いろいろ連立の組み替えもあったかもしれない。