『きみの色』を「3」の物語として読み解く 山田尚子が令和に描く若者の“新しい青春”
「父」のいない令和の青春物語
さて、改めて話を『きみの色』に戻そう。 この作品で個人的に気になったのが、「父」の不在である。『きみの色』には、「父」的なキャラクターがまったく登場しない。『きみの色』だけでなく、『映画 聲の形』や『リズと青い鳥』など、そのほかの主要な山田作品にも、「父」を体現するキャラクターがほとんど出てこないと言っていい。これもあえていうならば、トツ子ら「しろねこ堂」の3人が初めて出会い、「高校」という社会空間を脱したきみがほぼ唯一の居場所とし、なおかつシスター日吉子(新垣結衣)ら「大人」も集う「公共的」なプラットフォームとして描かれる古本屋「しろねこ堂」(活字の空間)が、唯一、本作における象徴的な場の機能を担っていると言えるだろうか。 それどころか、私も以前、『天気の子』(2019年)をめぐってやや長めの論考で書いたように、新海誠のアニメーションにも、「父」はほとんど登場しない。(※)この新海や山田のスタンスは、対照的にこの10年ほど、「父子関係の物語」を一貫して描き続けている年長世代の細田守との決定的な差である。 私の考えでは、このことは、令和の日本アニメが描いている、「青春」=「成熟」の表現の変化に深く関わっているはずだ。すなわち、青春が本来、子どもが大人への「成長」なり「成熟」なりを遂げるまでのはっきりしたプロセス(ビルドゥングス・ロマン)のことを指してきたのなら、『きみの色』は、いわば「父」のいない時代で、いかにしてひとは「青春」を送るのか、あるいは従来の「成長」や「成熟」なしで、いかにして現代の若者たちは「大人」になることができるのか、というより、そもそもそこでは「大人になる」とはどういうことなのか……というテーマを描いているのではないだろうか。 おそらくその問題は、つい数年前に完結した庵野秀明の『エヴァンゲリオン』シリーズが描いていたことでもあった。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)では、四半世紀以上にわたって、ずっと息子の碇シンジに対して、「シンジ、エヴァに乗れ!」=「大人になれ!」とプレッシャーをかけ続けてきた「父」=碇ゲンドウが、結局は本人も「父」になり切れない大人だったのであり、結局、息子のシンジはマリという新キャラと出会って、いままでの葛藤も吹っ切れ快調に「大人」になり、半分現実、半分アニメの世界へ飛び出していく、という結末を庵野は描いた。 『きみの色』でも、それぞれ母親や祖母からの期待にうまく応えられないという3人の主人公たちの思春期特有の悩みがフォーカスされている。ただ、物語の最後で、彼らのその葛藤がうまく乗り越えられたのかと言われれば、そういうドラマではないだろう。トツ子たちも、抱えている悩みを互いにフォローしあったわけでもない。ただ、バンドを結成し、曲を作り、一緒に演奏しただけだ。彼らはまた、それぞれの変わらない日常に戻るはず。ただ、誰もが共通して抱く同じような葛藤を3人が共有して、その周りをそれぞれのペースでバラバラに逡巡し、同じ時間を共有したことで、「大人」になることとはまた違う、ある「青春」を過ごしたことは確かだ。そこには、おそらく令和の若者の、新しい「青春」の形が描かれている。 いうまでもなく、その3人の「青春」の形は、――『リズと青い鳥』でのみぞれと希美の「青春」の形が、数学教師の「互いに素disjoint」という説明に集約されていたように――やはりトツ子が受けている理科の授業で、教師が映像で見せる太陽系の惑星の公転のイメージに託されているだろう。 そして、ここでもさりげなく太陽系の惑星の数として、「3」が登場する。もちろん、2006年に冥王星が準惑星に区分されて以来、太陽系の惑星の数は8個である。ただ、「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」というかつての惑星の数え歌をもじって、きみたちが「♪水金地火木、土天アーメン」と歌うように、少なくとも『きみの色』では、それはやはりいまだ「3」の倍数(3×3=9)なのだ。 令和の新たな青春アニメは、やはり「3」の周りをめぐっている。 [註]セカイ系に触れたので、短く補足すれば、岩井俊二作品との関係も付け加えておきたい。セカイ系は、その代表的作家だった新海誠を経由して、しばしばそのルーツに岩井作品が挙げられる。冒頭のトツ子の回想シーンで登場する、彼女の実家が運営しているらしいバレエ教室のイメージは、直接的には山田が偏愛するフランス映画『エコール』(2004年)をリファーしているようだが、むしろ色彩感覚といい、ここでは奇しくも同年に公開された岩井の『花とアリス』(2004年)との類縁性も指摘したい。高校生の荒井花と有栖川徹子、宮本先輩という『花とアリス』の女2+男1=「3」の組み合わせも『きみの色』と同じだし、どちらも「嘘」が重要な要素になる。キリスト教のイメージも、『PiCNiC』(1996年)以来、岩井作品の重要なモティーフの一つだ。続編(『花とアリス殺人事件』)はアニメーション化もされている。 ■参考 ※1. https://realsound.jp/movie/2022/09/post-1120977.html ※2. https://books.bunshun.jp/articles/-/4970
渡邉大輔