Jリーグ初代チェアマン・川淵三郎が明かす黎明期の諸問題、「呼称」「合併」世間を揺るがしつつ乗り越えられたのは
サッカー・Jリーグ初代チェアマンで、球技12リーグの活性化に取り組む一般社団法人「日本トップリーグ連携機構」の川淵三郎会長が、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演した。Jリーグ開幕当時の秘話や横浜フリューゲルスと横浜マリノスとの合併問題など、番組MCの元男子日本代表の槙野智章さんと語った。
Jリーグのチーム呼称問題
今年2月のJ1の開幕戦は、1993年5月15日のJリーグ開幕戦と同じカードが実現した。この31年で会場の国立競技場は新しく生まれ変わった。「ヴェルディ川崎」は「東京ヴェルディ」、「横浜マリノス」も「横浜F・マリノス」へそれぞれ名称を変え、Jリーグの歴史が決して平坦ではなかったと、両チームの名称が語っているようだった。
「ヴェルディはね、当時Jリーグで一番の人気で、試合を見ててとても面白かった。パスワークだけでこんなに面白いのかと思ったのはヴェルディが初めてだよね」
「ヴェルディあってのJリーグという感じだったんだけど、当時の読売新聞の渡辺(恒雄)社長(現・読売新聞グループ本社主筆)と僕といろいろな議論があって、チーム名に企業名を入れないのおかしいとか、世の中をすごく騒がしたというか、Jリーグがスタートする前からそういう問題があって」
世間の耳目を集めたのは
地域密着の理念を掲げたJリーグは、原則として地域名+愛称をチームの呼称とするよう求めたが、従来の企業名を入れないことに反発もあった。読売クラブを前身とするヴェルディ川崎の場合、呼称問題に加え、東京への移転構想もあった。これもホームタウンとの関係を重視するJリーグとしては簡単には認められないことだった。
「渡辺主筆とのいろんな意見の食い違いが、ことあるごとにいろんなことを言われたから、参ったな、もう勘弁してほしいよと(当初の)10年くらいはそう思ってたんだけど、そうじゃなかった。渡辺主筆がJリーグに対して言ってくれたことで世間の耳目を集めて、Jリーグが知られるようになった。言ってみれば、渡辺主筆はJリーグの恩人だというのは10年たったぐらいからだよ」