Jリーグ初代チェアマン・川淵三郎が明かす黎明期の諸問題、「呼称」「合併」世間を揺るがしつつ乗り越えられたのは
1998年の年末にかけて起きたマリノスとフリューゲルスの合併問題。「合併」とは名ばかりで、事実上、マリノスによるフリューゲルスの吸収合併だった。
「会社同士の決定になっていたわけだ。(会社員の経験があるから)取締役会を経た結果を覆すのは無理だって、俺はよく分かるわけだよね。とりあえず(チームは)なくなるわけじゃなくて、合併するんだから『最悪』じゃないなと。だから僕はね、もうしょうがないなと」
横浜「F」マリノス
Jリーグで初めてチームが減るという「撤退戦」。合併の情報が漏れないように進めるつもりが、すぐにメディアに情報が漏れた。
「フリューゲルスのサポーターが『川淵さんに会いたい』ってJリーグの事務局に来て、事務局には会うとややこしくなるから会うなと言われたんだけど、俺はちゃんと説明するって会った。30人くらいいたかな」
「1人ね、泣きながら訴えられたのは、『今日、ネクタイするのは生まれて初めてです。川淵さんに会うためにネクタイをしてきました。フリューゲルスというサポーターを作ったのは川淵さんでしょ。川淵さんがどうしてそれをなくすんですか』って言われた時には泣いちゃったね。心から、何とか残してほしいって、本当にそういう感じの人だったね」
横浜マリノスの名称には、フリューゲルスの「F」が付き、今も残り続けている。
おかえりなさい、東京ヴェルディ!
Jリーグ黎明期の人気を牽引し、紆余曲折もありながら31年の歴史を生き抜いてきたヴェルディとマリノス。
今年2月の東京ヴェルディ対横浜F・マリノスの開幕セレモニーには川淵さんが登場し、両チームのサポーターを驚かせた。
川淵さんはサポーターを前に、次のようにスピーチした。
「(Jリーグ開幕宣言で語った)『大きな夢』とは、老若男女、誰もが自分の好きなスポーツを楽しめるクラブを日本中につくっていこうという夢です。その夢をヴェルディはJ2にいながら、16もの競技を運営し、活動してくれているJリーグの模範生です」