Jリーグ初代チェアマン・川淵三郎が明かす黎明期の諸問題、「呼称」「合併」世間を揺るがしつつ乗り越えられたのは
ヴェルディは2008年シーズンにJ2へ降格してから、J1昇格を果たせずにいた。今季、16年ぶりにJ1のピッチに戻ってきた。
「J2に降格してなかなか上がってこれなかった。しかし、Jリーグを最初に人気リーグにしてもらった中心は、カズ(三浦知良)であり、ヴェルディであり、だから帰ってきてほしいなと。渡辺主筆とも完全に仲直りしてたからね」
マリノスとフリューゲルスの合併
順調な滑り出しだったJリーグだが、1990年代後半にはファン離れが徐々に進んでいった。
「Jリーグが10チームから12、14、16って増えていった時に、お客さんがどんどん減っていった。減った理由はいろいろあって、それまではゴール前のシーンがやたら多かったのよ。1試合に40、50回ぐらい。その都度に歓声がわくでしょ。要するに守備なんかしないって感じ。でも、だんだん守備をしないと勝てないって分かってくるわけだよね。チームのレベルが上がって、ゴール前のシーンが明らかに減っていった」
サッカーのレベルが上がったことで、観客が減るという皮肉。
「Jリーグのレベルが上がっていく過程で、ゴール前のハラハラドキドキするシーンが見られなくなった。中盤の争いなんて、初めて見る人にはあんまり面白くないもんね」
Jリーグ人気の陰りに加え、バブル景気の崩壊による日本経済の悪化が追い打ちをかけた。経営問題に直面するチームも出てきた。
1997年、日本サッカー界は初めてワールドカップ出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」にわいた。しかし同じ頃、清水エスパルスの経営問題が深刻化。運営会社が経営権を新会社に譲渡し、チーム消滅はなんとか回避した。
「マリノスとフリューゲルスの合併問題の前年に、それよりよっぽど大きな問題があった。エスパルスが潰れるかもしれない。その大変な思いをしていたから、マリノスとフリューゲルスの両方の社長が合併させてくれと来たとき、(チームが)なくなるよりはいいかと」