今も京都潤す「琵琶湖疏水」、レトロさ人気 明治の一大事業、観光船も
東京遷都で人口が減った京都に活力を取り戻そうと、明治時代に滋賀県の琵琶湖から京都まで引かれた水路がある。生活に欠かせない水を今も運ぶ「琵琶湖疏水」だ。事業用水力発電も行われ、京都の近代化に大きく貢献。最近は観光船が運航し、レトロな近代建築は若者の写真スポットになるなど多くの人に親しまれている。(共同通信=遠藤加寿) 琵琶湖疏水は都市再生を目指した当時の知事が建設を決め、1885年に着工。トンネル工事で大量の水が湧き出るなど多くの問題に悩まされたが、1890年に「第1疏水」(長さ約20キロ)が完成した。 翌年には水力発電も開始。「都市部の工業や商業にも使える事業用水力発電としては日本初です」。琵琶湖疏水記念館(京都市左京区)の学芸員久岡道武さん(46)はそう解説する。 電気のおかげで京都の町は産業が盛んになり、路面電車も走るように。1912年には「第2疏水」(長さ約7.4キロ)もできた。
久岡さんによると、水質が向上し感染症の拡大を防ぐことにもつながった。「一般家庭にも送電され、市民は近代化と復興を実感できたと思う」 一方、交通網が発達した影響で通船は途絶えた。そこで京都市や滋賀県などで構成する協議会が琵琶湖疏水の有効利用を検討。2018年春、大津市の三井寺付近と京都市の蹴上を結ぶ観光船「びわ湖疏水船」の運航が始まった。春と秋の運航で、定員は10人程度だ。 アーチが特徴的なトンネルを通ったり、船上から桜や紅葉を楽しんだりできるとあって人気が上昇。2023年4月、乗船者5万人を達成した。今年3月には、航路が約1.5キロ延伸され琵琶湖の「大津港」まで行けるようになる。 今も日本最初期の鉄筋コンクリート橋や近代建築が残っており、写真映えするスポットとしても親しまれている。 琵琶湖疏水記念館では映像や貴重な資料で歴史を紹介しており、久岡さんは「学んだ後は散策を楽しんでもらえたら」と話した。
▽琵琶湖疏水 滋賀県の琵琶湖の豊富な水を京都に運ぶため1890年に造られ、船による物資の運搬などに利用された。長さ2キロを超えるトンネルもある。 後に飲料水の供給や増大する電力需要に対応するため、2本目の水路も完成。2020年、多くの困難を乗り越えて建設され現在まで町と暮らしを潤し続けているとして、日本遺産に認定された。