「不器用なクマ科なのにパンダはなぜ竹を握れるのか?」直木賞作家・千早茜の「傷」にまつわる愛読書【私の愛読書】
著名人の方々が、お気に入りの本をご紹介するインタビュー連載「私の愛読書」。今回は、直木賞作家の千早茜さんにご登場いただいた。
千早茜さんは、2024年4月26日、短編小説集『グリフィスの傷』(集英社)を刊行。それぞれ異なる「傷」の物語が10篇収録された本書には、著者の深い祈りが込められている。 子どもの頃から傷に興味があったと語る千早さんに、「傷」に関連する小説や専門書など3冊をご紹介いただいた。物書きならではの視点で選ばれた3冊は、言葉や表現に携わる人にとって、参考になる点が大いにある。
解剖学専門家の言語化能力に感嘆する医学書『パンダの死体はよみがえる』
――千早さんの愛読書を教えてください。 千早茜さん(以下、千早):新著『グリフィスの傷』が「傷」の物語なので、今日は「傷」に絡めた愛読書を3冊選んできました。遠藤秀紀さんの医学書『パンダの死体はよみがえる』(ちくま文庫)、アゴタ・クリストフ氏の名作『悪童日記』(ハヤカワepi文庫)、川上弘美さんの小説『センセイの鞄』(文春文庫)の3冊です。
――まずは、『パンダの死体はよみがえる』について、本書のどんなところに惹かれたのでしょうか。 千早:科学の本として読んでも面白い本なんですけど、この作品は文章の勉強にもなると思います。 クマ科の動物は、すごく不器用なんですよ。そもそも「物を握る」能力を、人間以外の動物はほぼ持っていないんです。それなのになぜパンダは竹を握れるのか、その仕組みを解明したのが、本書の著者である遠藤先生です。 人が物を握る時の動作を、解剖学用語で「母指対向性」というのですが、これは類人猿みんなができるわけではなく、チンパンジーですらちょっとおぼつかない。そういう人間にしかできない「物を握る」動作について、「ここの筋肉が収縮して、第一中手骨がこう動いて…」と、文字だけですべてを説明できる素晴らしさが本書にはあります。 ――遠藤先生は、非常に言語化能力が高いのですね。 千早:はい。私達とは違う言語の使い方をするのが解剖学の先生で、人体や生物の体の仕組み、筋肉、骨の動きを言葉によって説明できるすごさを感じながら読むのが好きなんです。体のすべての部位に名前があるというのも感動します。 遠藤先生は、亡くなった動物に対しても「遺体」という言葉を使います。「遺体」は本来、人間の体にしか使わない言葉なのですが、先生は科学者であると同時に、文化的な感覚もお持ちの方で。そういうところにも惹かれますね。