「不器用なクマ科なのにパンダはなぜ竹を握れるのか?」直木賞作家・千早茜の「傷」にまつわる愛読書【私の愛読書】
各章の切り口と徹底した客観的描写が光る、アゴタ・クリストフの名作『悪童日記』
――では次に、『悪童日記』の魅力について教えてください。 千早:『悪童日記』は、最強の双子が登場します。彼らのことが本当に好きで、辛いことがあると、この双子みたいになりたいと思うんです。この双子は、いつも自分を鍛えています。鍛えるためにお互い殴り合ったり、ひどい言葉で罵り合って動じない精神を手に入れようとしたり。凄惨な内容ではあるのですが、こんな強さを持って生きられたらな、と。 『悪童日記』は短編ではないけれど、各章に衝撃的な切り口があります。それと、余計なことを極力書いていない。「戦争」という言葉は出てくるけど、「どこの国の戦争」かは書いていないし、人物の名前の注釈もありません。でも、戦争が起きていることや徐々に戦局が悪くなっていく様子は日常から伝わってきます。今回、久しぶりの短編を書くにあたり、本書のような無駄のない切り口を意識しました。
――物語冒頭に、双子が日記を書く際のルールを決める描写がありますよね。物書きにとって、とても参考になることが書かれていたように思います。 千早:私もそこがすごく好きで、今日も付箋をつけてきました。 “ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。” この部分を読んで、たしかに、と思いました。文章を書く時、自分の感情で書いてしまったら簡単なんですよね。「美しい」を書かずに美しさを描写することが、小説では大事になってくる。「まぶたの光」(『グリフィスの傷』に収録)のラストも、「恋している」気持ちを「恋」という言葉を使わずに書くことを意識しました。
年の離れた2人の稀有な関係に萌える『センセイの鞄』
――では最後に、川上弘美さんの代表作『センセイの鞄』の魅力について教えてください。 千早:実は、「林檎のしるし」(『グリフィスの傷』に収録)は、『センセイの鞄』のオマージュなんです。川上弘美さんの作品は全部好きなんですけど、『センセイの鞄』に登場するセンセイとツキコさんのかけがえのなさが、本当に素晴らしくて。 ツキコさんはセンセイの元教え子で、居酒屋でただ飲んでいるだけの2人が、付き合って、死に別れていくだけの話なんですけど、その飲みのシーンが魅力的なんですよね。「近所の居酒屋に飲みに行ったら、こんな素敵な人に会えるかもしれない」と、そんな期待を読者に抱かせる飲みのシーンを私も書きたいと思って。でも、やっぱりツキコさんとセンセイは稀有な関係で、こんな2人がゴロゴロいてもらっちゃ困るよなと思い、最終的に破綻させました。