NGではない、ゲームやスマホとの新しい関係性--自然と子どもの身体を繋げるゲームの可能性とは
春山:もちろんです。 窪田:前回、子どもの頃、おじい様から「遠くを見ろ」「星を見ろ」と口すっぱく言われたというお話をされていましたね。 春山:そうです。現在40代前半の私たちが子どもの頃は、ファミコン全盛期でした。私も他の子たちと同様、よくファミコンで遊んでいました。10代の頃にはプレイステーションが登場し、映し出される映像もどんどん鮮明になっていきました。 窪田:家庭用パソコンが普及し始めた頃でもありますね。
春山:そうですね。私自身はゲーム自体を否定はしません。ゲームで鍛えられる知能や感覚みたいなものはあると思っています。 窪田:それでも、ゲームを一切やらなくなってしまったんですよね? ■他人が作った世界で動くのかどうか 春山:はい。キッパリやめたのは「結局、ゲームとは、誰かが作っている世界の中で自分が動かされているだけ」と気づいたときですね(笑)。20歳の頃だったと思います。その事実に気づいたとき、急につまらなくなってしまって。
窪田:誰かの手のひらで踊らされているという感覚でしょうか。 春山:まさにそうです。それで一気に興ざめして。そのことに気づいたのが、山に入るようになった時期と重なっているのは偶然ではないと思います。ゲームをやめたのは、登山を通じて「自分が動くことで世界が変わる」ことを、頭だけでなく身体でも体感できたことが大きく影響したのでしょう。 窪田:自然は、人工的なものではないため、当たり前ですが、再現性がありません。つまり、二度と同じ現象には出会えない。空の色も雲の形も、山肌の印象も、気象条件などによって大きく変化しますし、「同じ瞬間」が絶対に存在しませんよね。20歳の頃の春山さんはその魅力に気づいてしまったのですね。
春山:そうですね、たとえ同じ山に登っても、登った人一人ひとりその山に対する印象がまったく違います。登山に関して何より素晴らしいのは、登る人が山に対して抱く印象もバラバラでよければ、登るルートもスピードも自由でいいという点です。何も否定されない。すべて自分で決めていい。そこが、ルールが前提となるゲームとは根底から違うと感じました。 窪田:自分がフルコントロールできる楽しさに目覚めたのですね。 春山:はい、そのほうが断然楽しいですし、人間として豊かだと気づきました。