授業は1カ月以上行われず逮捕者も…名門「麻布」の礎ともなる「麻布学園紛争」の記録がよみがえる
久保:10月3日の件で、私は直後に逮捕され少年鑑別所に送られます。この日、機動隊が来たら撤退しようということで生徒の意思は一致していました。私たちが撤退しようとしたとき、ごく普通の生徒が機動隊に襲いかかったのです。私もいったんは機動隊に捕まったけど、この生徒に助けられました。それだけ運動が一般生徒の共感を得ていたわけです。 ■ロックアウトーー授業が行われないとみんな落第してしまう おおた:11月に入ると3日に学外デモが実施されるなど、活発になります。教職員組合からも校長代行の退陣要求が出ました。そして、15日、全校集会で校長代行は辞任を発表します。生徒側の勝利です。校長代行が退任するまでのやりとりはどんな感じだったのでしょうか。暴力的な出来事はあったのでしょうか。 星野:当時、私は日記をつけていました。最近、読み返しましたが、「おれは殴らなかった」と書いてありました。ということは校長代行に殴りかかった生徒を見たということです。一方でそれを止める生徒もいましたが、彼らも校長代行退陣を求めていました。 久保:暴力的なことは最後に一瞬あったかもしれません。そこを切り取られて批判されることがあります。しかし、はじめから暴力ありきということはありませんでした。ただ、暴力的にならないで済ませようという志向性もなく、何が起こるかわからない状況でした。 星野:全校集会2日目の夕方になって押し問答が繰り返され、みんないらいらしている状態でした。何かきっかけがあれば、いつ爆発しても不思議ではないなかで、「Tが逮捕された」という報告が入り暴力が引き出されたということかもしれません。 久保:11月15日は雨中だったので、ある生徒は傘で校長代行をたたこうとしていました。一方で、校長代行のそばにいることが多かった、ある血気盛んな生徒が、そのうち校長代行を殴るのではないかと思ったけど、止めるほうにまわっていました。校長代行を退陣に追い込むまで力に頼らないでやりたかったけど、最後は力になった、と言えます。 星野:これ以上ロックアウトを長く続けると大変なことになる、という危機感は学校側にもあったようです。私の日記にも「18日がタイムリミット」と記されており、これを過ぎても授業が行われないと、卒業までの単位数を得ることができず、みんな落第してしまう。そうなれば、また、新入生を受け入れられず、入学金や授業料が入ってこなくなり学校経営的にまずいですからね。