授業は1カ月以上行われず逮捕者も…名門「麻布」の礎ともなる「麻布学園紛争」の記録がよみがえる
久保:校長代行辞任のあと、彼と行動をともにした教職員は退陣し、麻布は新しい体制のもとでスタートします。生徒全員参加型の闘いだったこともあり、1000人規模での成功体験、勝利体験を共有できました。その場所にいた中学1年から高校3年までの麻布生にとって大きな経験となり、のちに誰もが「おれがやって勝ったんだ」と振り返るようになります。 おおた:当時、宮台真司さんは麻布中学1年で、麻布紛争を通して社会を見る目を養ったと話していました。 ■麻布には生徒会、同窓会がない おおた:校長代行の退陣後、麻布は大きく変わります。「1971年は第2の創立年」という学校関係者もいました。麻布紛争は麻布に何をもたらしたのでしょうか。とくに麻布が紛争を通して獲得した自由についてお聞かせください。 星野:最近、わたしは麻布のPTA会報誌に麻布の自由に関する、こんな一文を記しました。「AZABismというキーワードを使うならそれは、権威を前にしてそれをうのみにするのではなく、一度は立ち止まってその権威の正当性を疑い、たしかめる作法であり、力で押さえ付けようとする者を前にしてただ頭をさげてそれに従うのではなく、たとえ従わざるを得ない場合でもその心の屈折を忘れない不器用さである。その先の帰結はもちろん必要ではないが、逃げる自由を行使するときもあれば、声をあげて行動する自由もあるだろう。それでも自分の目でみて自分の頭で考える、このような不器用な作法に私は麻布ということばを貼ってみたくなる」 久保:そもそも麻布に入学したら、学園創立者、江原素六の教えである自由についてたたき込まれます。麻布紛争によって、自由のあり方が問われるようになったのでは。 おおた:現在麻布には、生徒会、同窓会がありません。このことが逆説的に、麻布の自治や自由を獲得した闘争を記憶させる一つの装置になっていると思います。 久保:同窓会は紛争当時、山内校長代行を送り込み支持する声明を出していました。退陣後、そんな同窓会はいらないと解散させられてしまい、今日にいたります。 おおた:同窓会を作れば権力化する。だから意地でも同窓会をつくらない、という感じですね。それに代わるものとしてホーム・カミング・デーを設置しました。集まるところがないのはさびしい、という理由で年に一度、お祭りを行っています。