「踊る」青島と和久さんのモデルは“ハリウッドの名バディ” 亀山Pが明かす大ヒットは「何もないお台場が舞台だったからこそ」
現在公開中の「室井慎次 敗れざる者」と「室井慎次 生き続ける者」が大ヒットを記録している。今なお多くのファンが「踊る大捜査線」を待ち望み、12月には織田裕二主演で、「踊る大捜査線 N.E.W.」の制作もアナウンスされた。そもそも「踊る大捜査線」はどういった経緯で作られたのか。BSフジ代表取締役社長であり、同作のプロデューサーを務めた亀山千広氏に話を聞いた。【我妻弘崇/フリーライター】 【写真を見る】ファン待望の“次回作”ティザービジュアルも公開された ***
青島が配属された「湾岸署」は、フジテレビの新社屋引っ越しと密接な関係が
意表を突かれる一言だった。 「『踊る大捜査線』は、当時のお台場が何もないからこそ生まれたドラマでもあった」 同作の誕生背景を問うと、プロデューサーだった亀山氏(以下、敬称略)はそう切り出した。「踊る大捜査線」は1997年1月から3月まで、フジテレビの火曜9時枠で放送された刑事ドラマだ。撮影が行われた1996年当時、お台場はまだ今のように商業施設が林立しておらず、殺風景な埋め立て地が漫然と広がる場所だった。 「その頃のお台場は、13号地と呼ばれていた」と亀山が証言するように、文字通り無機質な東京の僻地――。そんな場所へ、事業拡大で旧社屋「河田町ビル」が手狭になったフジテレビが、新宿区河田町から移転してきたのである。正式な新社屋移転に向け、フジテレビが本格的な引っ越し作業を始めたのは、1997年4月。つまり、「踊る大捜査線」の撮影、ならびに放映時点では、新社屋はほぼ“もぬけの殻”だったということになる。 「デスクもイスもありません。運動不足を解消するために、室内でフットサルをしていたくらい(笑)。スペースを持て余した特異な期間だった」 『踊る大捜査線』は、織田裕二演じる青島俊作が脱サラして警察官となり、配属された湾岸署の刑事課でさまざまな事件を解決していくドラマだ。だが、彼らが解決する事件は、ただ犯人を追うような“ありがち”な展開に終始せず、軽微な犯罪や日常的なトラブルも少なくない。刑事の物語をサラリーマン的視点で描く、いわゆる“お仕事系”ドラマであり、コメディを基調とした作品でもある。 サラリーマン的な物語になった背景も、“何もなかったお台場”という場所が大きく関係しているのだが、そもそもどうして数あるドラマのジャンルの中から、刑事ドラマを選んだのか? 亀山が説明する――。