「踊る」青島と和久さんのモデルは“ハリウッドの名バディ” 亀山Pが明かす大ヒットは「何もないお台場が舞台だったからこそ」
青島幸男都知事(当時)による「臨海副都心」開発の中断も
大志を抱いて警察官になったはずだった青島俊作は、サラリーマン以上にサラリーマン的な言動が目立つ現場に辟易しつつも、その中でできることを模索し、変革しようともがく。 「実は、パトカーを使用するときに上司の印鑑が必要なんて規則はありません。あれは、警察官にも事務職があるということを分かってほしくてやった演出」 そう亀山が笑うように、「踊る大捜査線」はあくまでドラマというファンタジーの世界に過ぎない。だが、働く人すべてが抱えるだろうリアルな葛藤を持ち込んだことで、視聴者は「踊る」の世界に釘付けになった。 「作っていく中で、青島君たちが自分たちに見えてきたくらいです。板挟みになって、やりたいことがなかなかできない。そうした思いを抱く方は少なくないと思うのですが、うなずいてくれる人がたくさんいたから愛される作品になったのだと思います」 スピンオフ作品を含めた劇場版6作のシリーズ累計興行収入は487億円(観客動員数3598万人)。『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年)にいたっては、観客動員数1260万人、興行収入173.5億円という、今現在も実写邦画日本歴代興行収入第1位を誇るほどである。 ドラマが開始される少し前の1995年。東京都知事選に青島幸男が当選したことで、公約として挙げていた「都市博覧会(世界都市博)の中止」が決定的となった。開催予定地は、フジテレビ新社屋のあるお台場を含む、臨海副都心だった。その結果、埋め立て地・13号地は、そのまま無機質な荒野としてしばらく放置されることになる。 その後、「都市博覧会」に投じる予定だったリソースが、この地に向けられることで、13号地は今に続くお台場として開発され、様変わりしていく。何もない空白の期間があったからこそ、「踊る大捜査線」は生まれた。何もなかった埋立地に、金字塔を打ち立てたのだ。 我妻 弘崇(あづま ひろたか) フリーライター。1980年生まれ。日本大学文理学部国文学科在学中に、東京NSC5期生として芸人活動を開始。約2年間の芸人活動ののち大学を中退し、いくつかの編集プロダクションを経てフリーライターに。現在は、雑誌・WEB媒体等で幅広い執筆活動を展開。著書に『お金のミライは僕たちが決める』『週末バックパッカー ビジネス力を鍛える弾丸海外旅行のすすめ』(ともに星海社)など。 デイリー新潮編集部
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