《曙が荷物と共に夜逃げ》《幻のタイソンvs.ボブ・サップ》…珍事件だらけの「'03年大晦日興行戦争」舞台裏
曙が荷物と共に「夜逃げ」
'24年4月6日、第64代横綱・曙太郎(出生名・チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)が他界した。享年54。同期入門のライバル・若乃花、貴乃花との出世競争をへて、外国人初の横綱に昇進。若貴兄弟との名勝負は'90年代の角界を大いに沸かせた。 現役引退後は東関部屋の部屋付親方として後進の指導にあたりながら、日本相撲協会の職務に従事した。しかし、相撲協会は曙にとって、必ずしも居心地のいい場所ではなかった。現役時代が嘘のような下働きを強いられ、「顔が売れているから」といった理由で、慣れないネクタイを締めチケットを売り歩くように仕向けられたからだ。 曙太郎が九州場所の営業活動に奔走していた'03年秋、博多まで飛んで「大晦日にボブ・サップと戦って欲しいんです」と懇願したのは、谷川貞治K‒1プロデューサー(当時)である。予定していた「マイク・タイソン対ボブ・サップ」が実現不可能となり、それに代わる目玉カードを欲していたとき「曙がキックのジムで練習している」という情報をキャッチしたのだ。 さらに、持ち前の「人たらし」で、数々の大物ファイターを籠絡してきたK‒1創始者の石井和義までが交渉に加わった。「大相撲の横綱が、今度は格闘技の横綱になる」とか「来年のグランプリは曙関で決まりや」と口説きに口説くと、曙の気持ちは決まった。 すぐさま谷川プロデューサーは、引っ越し業者を手配して、東関部屋の宿舎にある曙の私物を運び出した。 さらに、曙自身も福岡空港から東京行きの飛行機に乗せて姿を消してしまうという、引田天功顔負けのイリュージョンで身柄を確保。半ば強引に契約を交わすのである。 対戦相手のボブ・サップも、規格外の大きさと圧倒的な強さ、親しみやすいキャラクターから格闘技界の枠を超え、多くのメディアに露出するなど時代の寵児となっていた。その両雄が激突するのだから注目を集めないはずがなく、師走の話題を独占することになる。 後編記事『《曙vs.ボブ・サップ》格闘技が紅白歌合戦に勝った「伝説の4分間」があった…テレビ史を塗り替えた「知られざる理由」』へ続く。 「週刊現代」2024年12月28・2025年1月4日号より
細田 昌志、週刊現代