あと26時間の命と知った特攻隊長「人間その境遇になれば誰でもこんな心境に」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#65
今度が最後の親不孝
幕田大尉は1937年、18歳で海軍兵学校に入校。4年後卒業して海軍少尉候補生となり、潜水母艦に乗り組み海戦へ。翌年、海軍少尉に任官される時の公文書が残っていた。「幕田稔外二十四名任官の件」として、25名の筆頭として幕田の名前が記されている。 <幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 私も考えてみれば随分親不孝をしたものです。戦争中から家をかえり見る事もなく、浮浪児の様にさまよいつづけ、たまに内地に帰ったと思うと、大怪我をして病院に横たわり、母上の心をわずらわし、横須賀くんだりまで再三足を歩ばせ、又九死に一生を得て復員したと思う間もなく巣鴨に無賃宿泊を続け、散々心配かけました。 そして今度が最后の親不孝です。しかし私は内心ひそかに誇り、満足しており、この諸々の親不孝の償いになると思っている事が唯一つあります。「我は世界なり」と何のためらいもなく声高らかに、絶対の確信を以って言明出来る事です。私は西方十万億土に行くのでも、天上に昇天するのでも、霊魂となってふわふわ飛び歩くのでもありません。私は実にこのまま、この無限成る大自然であり、複雑な人間社会でもあり、母上や皆さん、それ自体でもあるのですから。~一分一厘の間隙をはさまず、文字通り理窟なしに~そうなんですから。私の絶体真実なる体験を信じて戴けば、これ程安心の出来る事はないと思います。 〈写真:幕田稔の海軍少尉任官の公文書(国立公文書館所蔵)〉
私がちょっと”雲がくれ”したと思って
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)> 時間と空間を超越して即ち如何に遠く離れていようと、かつ永遠に皆さんと一体なのです。そしてたかが五十年の短い人生などとケチな事を言わずに、無限に、永遠に母上初め皆さんを守護し、導いてやろうと豪気な事を一人で今ニタニタ笑いながら考えている所です。否考えているのでなく確信を持ってそうしようと意図しているのです。だから皆さんもこのとてつもない豪気な幸福を得られるのですから、私が一寸雲がくれした様にただ、形だけ見えなくなる悲しみに勇敢に堪えて下さい。 資本を出さずに利益ばかり得んとしても無理な事ですからチョッピリ悲しみのもとでと思い我慢しなさい。私もこの私の絶体の確信たる「自己は世界なり」との釈尊の、道元禅師の結論を得るまでは今考えても、吾ながらよくやり得たと思う程の莫大な代償を払っているのです。