あと26時間の命と知った特攻隊長「人間その境遇になれば誰でもこんな心境に」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#65
スガモプリズン最後の処刑となった石垣島事件7人の絞首刑は、1950年4月7日金曜日、午前0時半ごろ執行された。5日の午後10時頃に執行の言い渡しをされた7人は、あと26時間ほどしか残されていない最後の時間をどう過ごしたのか。海軍の特攻隊長・幕田稔大尉は充分に睡眠をとり、家族に向けて最後の手紙を書き続けた。あえて「遺書」と題名を書かずにー。 【写真で見る】幕田大尉の家族へ向けた遺書
肉親への遺書 処刑から32年後の掲載
戦犯たちの遺書を集めた「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会 1953年12月1日発行)には収録されていなかった幕田大尉が家族へ向けた遺書。「昨日今日の日記」と題された文は、「世紀の遺書」に先立って発行された、田嶋隆純編著「わがいのち果てる日に」(1953年7月31日発行)には掲載されていた。田嶋隆純は死刑囚たちに最後まで寄り添い、「巣鴨の父」と慕われた教誨師だ。 そして亡くなってから32年後、三十三回忌を迎える1982年に「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>に掲載された。遺族は、遺書を大切に保管していたのであろう。そこには、母、弟、妹ら肉親への心遣いが刻まれている。 〈写真:死刑を宣告される幕田稔大尉(米国立公文書館所蔵)〉
人間その境遇になれば誰でもこんな心境に
<幕田稔の遺書(昨日今日の日記)>※現代風に書き換えた箇所あり 「人間の生死一大事因縁を究むる」というと難しく聞え、又私がここで云うと、いささか大ぼらに聞えるかも知れないが、確かにこんな心境に違いない。考えてみれば、人間必ず一度経験しなければならない死をさほど特別扱いにするのが間違っている。 人間は自らその境遇になれば、誰でもこんな心境になるだろう。現に私より更に若い井上(勝)、田口、成迫、藤中の四友も実に平然堂々たるものではないか。私は殺されるのではない。私は仏法の一行者として心魂を傾けて得た私の体験を――自己即世界宇宙と云い表現するよりほか仕方のないものであるが、――生死の道場たる私の生涯に於いて私自身が実証してみるのだ。その体験が真であったか、偽であったか自ら実験せんとしているのだ。 〈写真:幕田大尉の家族へ向けた遺書 「刀剣と歴史」(昭和57年11月号)刀菊山人<なまくら剣談(三十)>より〉