全国に2か所だけ「名瀬測候所」130年ぶり移転 米軍統治下「教科書密航」舞台の1つに 鹿児島・奄美市
では、教科書の密航と名瀬測候所は、どんな「関わり」があったのでしょうか? (奄美市立奄美博物館 喜友名正弥学芸員)「教育資料や教科書を積んで戻るが、隠した場所が名瀬の測候所だった」 アメリカ軍の統治下にあった奄美の中でも、名瀬測候所は日本政府の管轄でした。いわゆる治外法権的な場所で、資料では、教科書を隠すために「測候所は一番安全な場所だった」と書かれています。 およそ130年、気象の予測や観測を担ってきた名瀬測候所は、戦後・奄美の歴史との関わりもありました。 (キャスター) その測候所も今では全国で帯広と名瀬の2か所だけになり、効率化も進んでいますね。 (気象予報士) 気象観測や通信技術の発展で、名瀬測候所の職員は30年ほど前には50人いましたが、現在は15人となりました。 効率化が進む中であっても、南北600キロとエリアが広大な鹿児島では、奄美の離島の気象予測、防災の拠点として、名瀬測候所が今後も重要な役割を果たしていくことになります。
南日本放送