次世代の声、国への圧力に 北方四島・択捉島元島民2世の会「しるし」代表 渡辺彰さん 令和人国記
■洋上慰霊にも参加
ロシアのウクライナ侵攻の影響で北方墓参ができず、3年連続で洋上慰霊が行われた。私も毎年参加していて、今年は「(北方四島の元島民らによる四島交流事業用の船舶)えとぴりか」の船内に泊まりました。参加者から「元島民同士でゆっくり話をしたい」という声があり、初めて取り入れてもらいました。あいにくの強風で船内待機になり、翌日の早朝に出港。途中までは波が穏やかだったけど、いきなり大荒れになって途中で引き返した。乗船した80人のうち20人ぐらいが知り合いで、島にまつわる昔話で盛り上がりました。
母からは島の暮らしなどを聞くことはあまりなかった。択捉島から樺太(サハリン)に連れていかれ、その後、着の身着のままで小清水町にたどりついたと聞きました。今は町内の公園になっている場所に海軍の兵隊がいっぱいいて、終戦後は引き揚げ者や北方四島を追われた人たちが駐屯地跡の兵舎に住むようになった。戦争で行き場のなくなった人がどんどん小清水町に送られてきて一時はすごかったのを覚えています。
元島民は故郷の島がいまだに戻ってこないことを苦しんでいる。次の世代が声を出すことでより国や政治家へのプレッシャーになっていかないといけない。(聞き手 坂本隆浩)
(わたなべ・あきら) 昭和27年、北海道小清水町生まれ。地元の短期大学を卒業し、20歳で実家の畑作農場に就職。50歳の時に母親と北方領土元島民の北方墓参に参加したのをきっかけに返還運動に参加。60歳で千島歯舞諸島居住者連盟の網走支部(現オホーツク支部)支部長に就任。令和6年2月に択捉島元島民2世らでつくる「しるし」を設立。