夫の置き土産に感謝 福知山脱線で夫亡くした妻の想い
絶望の淵で聴いた音楽、自分に今できることを
そんな時、オーディオに入っていたCDをランダムにかけたら、シンガーソングライター、さだまさしさんの「奇跡」という曲が流れた。これは、淳子さんと一緒にコンサートに行った時に買ったものだった。「どんなにせつなくても必ず明日は来る」など、CDから聞こえてくる歌詞は、佳代さんを自然と勇気づけた。「スタートラインに立たんとアカンよね」
以来、さだまさしさんのコンサートに出かけるようになった。そして、年末のカウントダウンにも参加し、励まされた。1人でいると、今でも正直さみしさは募る。クリスマスは、浩志さんが大好きなイベントで、毎年部屋に飾り物をして淳子さんも一緒にチキンを食べて祝った。そして、お正月のカウントダウンもみんなで楽しんだ。「その楽しいときをすごせない」本当に1人の時はつらかった。 だが、そんな佳代さんを救ったのは、仲間たちだった。「私らには(佳代さんの)気持ちはわからへん。けど、支えることはできるよ」と。佳代さんもその支えでどん底な気持ちから立ち直っていった。そして「自分も何かをしたい」と考えた。 「私には今、音楽しかできへんけど、自分の経験を語って人に寄り添えることができるのであればと思って『虹色の音』という音楽グループをつくりました。それで私が頂いた温かい人の優しさをもとに、私なりに音楽を通じて人に寄り添ったりできるかなと。微力かもしれへんけど」 佳代さんの部屋には、浩志さんや淳子さんと撮った写真がいくつか飾られている。長崎ハウステンボスのチューリップ畑前で浩志さんと撮った写真はお気に入りのひとつだ。そして、これが事故直前に撮った最後の一枚だった。「夫との思い出の場所へいくつか旅に出たけど、ここだけは長い間どうしても行けなかった」 しかし、一昨年「悲しみを乗り越えな」と勇気を出してこの地へ行った。すると、自然と前を向く力がついた気がするという。「浩志くんが呼び寄せてくれたのかな。いろんな活動から、たくさんの人と出会うことが出きてん。母にもほんまに感謝。そう浩志くんは、いっぱい置き土産をしてくれましたわ」。佳代さんは笑顔でそう語りながら、2人の写真をじっと見つめていた。