<負けて克つ・センバツ鳥取城北>春切符への軌跡/1 「チーム」の形、暗中模索 /鳥取
昨年8月11日。鳥取城北の新チームが始動した。前日には、阪神甲子園球場であったセンバツ交流試合で名門の明徳義塾(高知)と好勝負を繰り広げたばかり。新型コロナウイルス禍で中止になったセンバツの実質的な代替イベントだった。新チームには、2年生唯一のレギュラーとして3年生と行動を共にしていた畑中未来翔(みくと)・新主将も合流。引退した3年生たちは「絶対にセンバツに行けよ」と激励した。 だが山木博之監督(45)は内心、「この秋は中国大会出場も厳しいかもしれない」と危惧していた。公式戦の経験者は畑中主将のみ。さらに新型コロナの影響で体力づくりや練習試合の不足は深刻だった。練習では指示されたことはこなすものの、自ら考えてコミュニケーションを取り合えず、ポジション争いにも激しさがない。山木監督は「3年生に甘え、自立できていない」と見ていた。 始動後まもなく、八頭との練習試合に敗れた。山木監督はついに厳しい言葉を投げ掛けた。「このままでは秋は県大会で終わるぞ」 先輩たちがやっていたような仲間を鼓舞する声掛けに努めていた畑中主将は「自分がもっと背中で引っ張ろう」と奮起。練習には常に一番乗りし、ボールやネットなど道具の準備を率先した。そんな姿勢が徐々に広がり、ようやく「チーム」の形が整い始めた。 9月の倉吉北との県大会初戦。初の公式戦に硬い表情の選手が多く、一回にいきなり先制を許した。それでも、畑中主将が三回に勝ち越しの犠飛、五回には本塁打を放ち、三回から登板した広田周佑(しゅうすけ)投手(2年)の力投もあって10―1の七回コールド勝ち。 しかし山木監督は表情を緩めなかった。「まだまだ。浮足立っている選手もいるし、声も出せてない」。その懸念通り、大会後半でチームの決定的な弱点が露呈することになる。【野原寛史】 ◇ 3月19日開幕の第93回選抜高校野球大会に2年連続3回目の出場を決めた鳥取城北。しかしチームは順風満帆にはほど遠く、逆境の連続だった。手痛い失敗を経験しながらセンバツ切符を手にした鳥取城北ナインの軌跡を振り返る。