中学で出会った恩師、木村敬一が世界を知った日…「全てが水泳優先に」
東京パラリンピックで金メダルを獲得し、今夏のパリ大会にも出場予定の全盲(ぜんもう)のスイマー、木村敬一さん(33)。中学進学を機に上京し、かけがえのない恩師や友人と出会った。(読売中高生新聞編集室 高田結奈)
寺西先生との出会い
「小学4年からスイミングスクールに通ったおかげで、少しは泳げるようになり、中学でも部活で水泳を続けました。中学1年も終わろうという頃、体育の先生で、水泳部顧問でもある寺西真人先生から『高校生と一緒に練習しないか』と、声を掛けてもらいました。寺西先生は、パラ競泳の日本代表コーチを務め、選手たちのタッパーも担った人です。なんだか、新しいステージに進めるような感覚で、喜んで高校生の練習に交ぜてもらうことにしました。
それからというもの、寺西先生には東京大会で金メダルを取るまで、ずっとお世話になりました。最初は生徒と先生、次は選手とコーチ、最終的には金メダルを目指して共に戦う仲間――。僕と先生の関係性は少しずつ形を変えながら、深くなっていったように思います。水泳選手としてはもちろん、僕がひとりの人間として成長していく姿を一番近くで見守ってくれた存在です」
初めて出場した国際大会は、競技人生の大きな転機になった。
「中学2年の冬、寺西先生から『来年、アメリカの大会に出るぞ』と告げられました。国際視覚障害者スポーツ連盟(IBSA)の世界ユース選手権です。選手権に向けて練習量はぐっと増え、競技のパフォーマンスを上げるためには、どういう生活を送るべきかということを常に考えるようになりました。日々の行動と水泳を天秤(てんびん)にかけて、全てが水泳優先に傾(かたむ)いていきました。
その結果、選手権では金、銀、銅と一つずつメダルを取ることができました。水泳中心の生活や国際大会を経験したことで、自然とパラリンピックを意識するようになりました。初めて海外の大会に挑戦して、世界のレベルの高さもよくわかりました。僕と同じように目が見えなくて、同じくらいの年齢なのに、驚くほど速い選手が大勢いましたから。また、選手権の前年には、パラリンピックのアテネ大会があって、そこに出場する選手たちと一緒に練習させてもらう機会がありました。『これぐらい速ければパラに出場できるんだ』という感覚が味わえたことも大きかったですね」