結果を伴わない「努力」は「努力」じゃない?【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第24回
里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール! 日本を代表するレジェンドプレイヤーの2人が、野球からの学びをライフハックに翻訳、「生き抜く知恵」を惜しげもなく大公開。連載の第24回では、「努力」に関する考え方に迫ります! 【写真】里崎智也×五十嵐亮太 対談フォトギャラリー ■世の中に「努力」という言葉は必要ない? ――さて、今回からは「努力」について伺いたいと思います。かつて、王貞治さんが口にしたという「努力をしても結果が出ないのは、まだ努力が足りないからであり、それを努力とは言わない」という言葉もありました。はたして、努力は必ず報われるものなのか? おふたりの考えを聞かせてください。 五十嵐 う~ん、努力か......。僕自身、「努力したなぁ」と思ったことって、これまでないんですよね。強いて言えば、プロ野球選手になるために高校2年から3年の夏にかけて必死に頑張ったことが努力と言えるのかもしれないけど、正直に言えば、「好きなことを夢中になってやっただけ」という感じで、「努力」というのとはまたちょっと違う気がしますね。 里崎 僕の場合はもうシンプル。世の中に「努力」という言葉は必要ない。いちいち「僕は努力しています」とか、「努力したけどダメだった」とか、そんな考え方がそもそも間違っているとすら思っています。 五十嵐 確かに、聞いてもいないのに自分から「僕はすごく努力しています」ってアピールするのはカッコ悪いですよね(笑)。でも、「努力という言葉すら必要ない」というのは、どういう意味ですか? 里崎 スポーツでも、勉強でも、仕事でも、遊びでもなんでもいいけど、何か「これをしたい」「こうなりたい」「成功したい」と思ったときに、その目標のために準備をしたり、必死に取り組むのは必然であり、当然のプロセスだよね。「必然」は「努力」じゃないでしょ。 五十嵐 僕自身の経験から言っても、自分がやりたいことをやっているときはあまりそれを努力だとは思わなかったけど、そう考えたら、「やりたくないことを頑張ること」を努力というのかな? 里崎 強いて言うのなら、「やりたいことをやるためのプロセス」を、世間の人たちは「努力」と言っているのかもしれないけど、僕から見ればそれは必然。だって、やらなきゃいけないことをやっているだけだから。それをいちいち、「努力」とは言わないし、ましてや「努力しているから偉い」とも思わない。だって、やるべきことをやっているのに、どうしてそれで「偉いね、頑張っているね」と褒める必要があるのか、意味不明だよ。