結果を伴わない「努力」は「努力」じゃない?【里崎智也×五十嵐亮太のライフハックベースボール!】第24回
■結果を出していない人ほど、努力アピールしがち 五十嵐 絶対に「自分は努力していない」と言い張るのも、サトさんらしくて好きです(笑)。でも、僕は「それでもサトさんは努力しているな」と思っていますよ。ふと思ったけど、きちんと結果を残している人ほど「自分は努力していない」と言いがちだし、逆に結果が出ていない人ほど「オレはこんなに努力している」とアピールしがちですよね。 里崎 それは、確かにその通りだと思う。結果を出していないヤツほど、"頑張ってますアピール"をしがち。でも、結果が出ていない以上、それは「頑張っている」とは言えないんだから。その点を間違えている人は本当に多いと思うね。 五十嵐 何も結果が出ていないから、余計に「頑張っている感」をアピールしたくなるんでしょうね。だけど、「褒められて伸びるタイプ」の場合、たとえ結果が出ていなくても、ある程度のところまでは目をつぶって「よく頑張っているね」って褒めたほうがいいんですかね? 里崎 そんな必要なんてないでしょ。だって、結果が出ていないんだから。さっきも言ったように、「努力して偉いね」とか、「頑張っていてすごいね」なんてまったく思わない。結果が出ていないのに、どうして「偉いね」とか「すごいね」って言えるのか? 意味不明。 五十嵐 「努力」という言葉をググってみると、「ある目的のために力を尽くして励むこと」って書いてあるけど、「自分の限界を超えて取り組む」とか「力の限りやってみる」というのは、たとえ結果が出ていなくても「努力」と言っていいと思うし、「よく頑張ったね」と認めてあげてもいいと、僕は思いますけどね。 里崎 僕は絶対に認めない(笑)。 五十嵐 サトさんは能力が高いし、何でも自分でできるから、それが基準になっているんだと思うけど......僕もそうだけど、普通の人はそこまで強くないし、なかなか頑張れないものですよ。やっぱり、世間の大多数は「これだけ頑張っているんだから褒めてよ、認めてよ」という思いがあると思いますね。 里崎 それで言うと、「頑張って」って言われるのが死ぬほど嫌い。「頑張れ」っていう言葉もなくしてほしいほど(笑)。 五十嵐 それはどうして? もうすでに頑張っているから? 里崎 そう。そもそも第三者に対して......。 ――スミマセン、話が盛り上がってきたところですがちょうど時間となりました。この続きはまた来週、お願いします。次回は「どうして、"頑張れ"と言う言葉が嫌いなのか?」というところから始めたいと思います。 里崎・五十嵐 了解しました。また次回、よろしくお願いします! 構成/長谷川晶一 撮影/熊谷 貫