「人によって態度を変えるな」という説教が罪作りな理由 ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
勘違いや思い込みによって人間関係が悪化したり、トラブルを起こしたりすることは珍しくない。ベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』の著者で臨床心理士の宮口幸治さんは、医療少年院で数多くのそうしたケースを目の当たりにしてきた。新著『歪んだ幸せを求める人たち ケーキの切れない非行少年たち3』で紹介される少年の例は衝撃的だ。 人間関係で悩みを抱えたこの少年は、自ら命を絶とうと考える。問題はその先だ。彼には自分をかわいがってくれる祖母がいた。その祖母を悲しませたくない。強くそう思った少年は、「おばあちゃんを悲しませたくない」という気持ちから、祖母を殺そうとしたというのだ。 幸い、この行為は未遂に終わり、少年も反省を示したというが、「勘違い」「思い込み」の怖ろしさを示す一例といえるだろう。
そんなおかしな過ちを犯すはずがない――そう思っている人であっても、実は「勘違い」「思い込み」で失敗することは往々にしてある。 宮口さんが指摘するのは「良かれと思って」の罠だ。何気なく、善意で口にした言葉が相手に悪いように作用することが多いのだという。 宮口さんが同書で指摘している「無責任な言葉かけ」の実例を見て、肝を冷やす方もいるのではないか……。(前後編記事の前編・以下、『歪んだ幸せを求める人たち ケーキの切れない非行少年たち3』より抜粋、再構成) ***
「いい人をやめよう」
「いい人をやめよう」――このキャッチコピーはよく見聞きしますが、ここでの“いい人”は、“誰とでも仲良くしようとする”“人の頼みがなかなか断れない”“周りに気を遣いすぎる”“自分が我慢してしまう”といった振る舞いが想定されています。そこで、キャッチコピーに続いて「嫌なことはしなくていい」「もう我慢は止めよう」と続いたりします。 これは典型的な無責任な言葉かけの一つだと感じています。もし誰かがこの言葉を額面通りに受け取って実行してしまうと、大変なことになります。学校や職場で“仲良くしない人を作る”“人の頼みをすぐに断る”“周りに気を遣わない”“何ごとも我慢しない”“嫌なことはいっさいしない”といった子や人がいたらどうでしょうか。身勝手な奴だと思われ、多くの敵を作り、おそらく周囲との人間関係が崩れ、本人はもっとしんどくなり、学校や職場には居づらくなってしまうでしょう。 ある程度我慢してでも“いい人”と思われている方が、実は幸せなことも多々あります。周りに気を遣ってくれる人は、殺伐とした職場では安心な存在です。みんなが嫌がることでも引き受けてくれる人は、みんなから感謝されます。自分を抑えて他者を立てる人は、尊敬されます。 みんなお互いを観察し合っています。そういった、ちょっとしたことの積み重ねがみんなの記憶に残り、いわゆる“人望”につながっていく気がします。私は大学勤務の前は法務省で勤務していましたが、かなり上の方まで出世していった人たちは結局のところみんな温厚であり、自分を抑えて我慢できる人たちでした。誰からも信頼されていて、どちらかというと“人が良すぎる”人たちでした。 逆に「あの人はいい人ではない」との烙印を押されてしまったら、通常はなかなかそこから抜け出すのは難しいでしょう。「いい人をやめよう」は、その言葉を真に受けた人物を不幸にもしてしまう無責任な言葉かけなのです。