「人によって態度を変えるな」という説教が罪作りな理由 ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか
「少し休んだら?」
忙しくしている人に対して「少し休んだら?」「もっと手を抜いたら?」という声かけもよく見聞きします。相手を気遣う言葉かけとは思うのですが、それを真に受けて、忙しいのに本当に休んでしまったら、もっとしんどくなるのは明白です。 私が医学部6年生の頃、医師国家試験に向けて寸暇を惜しんで勉強していたときの話です。合格率こそ9割近くあるのですが、6年生にもなると、あと少しで医師になれるので医学生はみんな死に物狂いで勉強し始めます。1割が落ちるとなると誰もが決して気が抜けません。覚える量が膨大で、大学受験の比ではありません。おそらく人生で最も過酷な試験だったと思います。 そんな状況下で同級生のある友人が、当時付き合っていた女性の両親から国家試験の半月前に旅行に誘われました。「勉強ばかりで大変だからたまには気分転換を」と言われたそうです。二人は親公認で付き合っていたので、その友人と彼女、そしてその両親の4名で1泊2日の旅行に行ったのです。彼は「こんな忙しいときに……。でももう予約したっていうから行かないといけない」とかなり苦しそうにぼやいていました。普通に考えても、例えば大学受験の共通テスト前や2次試験の半月前に旅行に誘う親などほぼいないでしょう。その彼女の両親には悪気はなく、よかれと思って誘ったのでしょうが、万が一それで彼が国家試験に落ちたらどうするのでしょうか。その後、彼は無事に国家試験には合格しましたが、両親に旅行を延期するように提案するなど彼への配慮ができなかった彼女に対しては愛想をつかしたのか、その後、別れてしまいました。
「人によって態度を変えるな」
「相手によって態度を変えてはいけない」と子どもに教える大人や教師がいます。相手の顔色を見ながら態度を変える子と聞くと、ずる賢い子のように感じられる人もいるでしょう。そこにはおそらく、分け隔てなく平等に人と接することは善であるという規範があります。 しかし、相手によって態度を変えられるのは処世術の一つです。大人であれば、上司など立場が上の人や偉い人には頭を下げますし、場合によっては嫌いな相手や苦手な相手にも笑顔で接することがあります。むしろ子どもが相手や状況によって、敬語を使ったりして態度を変えることができるとしたら、それは場の空気を読むことができる高い能力の証です。普段はさっぱりでも参観日で親が見に来てくれたら積極的に手を挙げる子は、場の空気を理解し、親にいいところを見せようと頑張れる子どもです。「誰かが見ているときだけ張り切って……」と批判する教師がいたら、それは子どものやる気をそぐ的外れな見解でしょう。むしろ大切な人のために頑張れたと褒めてあげるべきです。 *** むろんこうした言葉が本当に救いになる場面もある。しかし相手の状況を考えずに口にするとかえって事態を悪化させることが多いのは肝に銘じたほうが良さそうだ。 後編〈「要領のいい人はずるい」という安易な思い込みが不幸のもとになる ヒトはいつ「歪み」を抱えるのか〉では、「失敗を恐れるな」といった言葉の問題点や「要領のいい人はずるい」といった思い込みの問題点について紹介する。
宮口幸治(みやぐち・こうじ) 立命館大学大学院人間科学研究科教授。医学博士、臨床心理士。京都大学工学部を卒業し建設コンサルタント会社に勤務後、神戸大学医学部を卒業。児童精神科医として精神科病院や医療少年院等に勤務、2016年より現職。一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。 デイリー新潮編集部
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