【本屋は生きている】神戸から沖縄を思い続ける専門書店「まめ書房」 見上げれば、限りなく緑に近いブルー
本を通して体験を提供する喜びを求めて
晴れて家電製品の液晶パネル内のアイコンやメニューを描く、GUIデザイナーとなった。だがここでも、金澤さんは歩みを止めなかった。今までの概念を覆すスマートフォンに触れるにつけ、パネル内デザインにとどまらず、見て触って感じる体験型のデザインを通して、新しい価値観を提供したいと思うようになったのだ。夢は大きく目標は高く。明るい未来を想像していたさなか、三洋電機がパナソニックに吸収されることを知る。周囲ではリストラの嵐が吹き荒れていた。 「幸いにも自分は、転籍できることになって。AV機器のGUIデザイン担当になりましたが、企業風土の違いに戸惑う日々でした」 2012年頃から「デザインの現場にチャレンジ精神が無くなり、ユーザーとの距離も遠のいてしまった」と感じるようになったという。ユーザーの声をデザインに活かすことが何よりも楽しかった金澤さんはついに、退職を決意する。ユーザー、すなわち客とつながる場を、自分の手でデザインしたい。モノを売ることで価値と体験を提供したい。新たな環境で疲弊する金澤さんを見てきた由紀子さんも、大いに賛成した。2014年のことだった。 「じゃあ何をやるのか。会社員時代のクセで、代替案をランク付けしてみたんです。本命が本屋で、次点がおもちゃ屋と雑貨屋でした。書店はすでに斜陽業界なのはわかっていたけれど、知らない本と出会える本屋ならではの体験が楽しくて。本屋ならお金と商品の交換だけではなく、体験も提供できると思ったんです」 と、ここまではデザイナーの経験ともリンクするのはわかるが、なぜ沖縄本だったのだろう? 「小学校3,4年の頃に、日本の子守歌を聴く授業があって。『五木の子守歌』とか悲しい歌ばかりの中で、沖縄の『耳切坊主』という子守歌が曲調は琉球音階で明るいのに、『泣く子の耳は刃物で切られるよ』という歌詞でビックリしたんです。それが原点ですが、80年代に坂本龍一や細野晴臣が沖縄音楽を取り入れたり、アジアンミュージックと琉球音楽が切っても切り離せない関係だったりと、ずっと気になっていました」 「沖縄音楽のCDを買ってみては、うちなーぐち(沖縄の方言)や琉球王朝の歴史を調べたくなったりしていましたが、神戸や大阪ではなかなか文献が手に入らなくて。それが沖縄に行くと、県産本コーナーにどっさりある。これは沖縄本オンリーでもひとつの店ができるんじゃないか、むしろその方がテーマが明快になる、と思ったんですよね」 確かに私もどこに行っても見つからなかった沖縄と南洋移民の関係についての本が、沖縄であっさりと見つかり驚いたことがある。そんな体験を沖縄以外の場所でできるのは、なんとも贅沢な気がする。