「大阪局の”ベタなつくり”が悪いほうに…」ドラマづくりのプロが分析する朝ドラ『おむすび』の行方
また、最初のころは男女が交互に主人公となるパターンだったが、ここ近年は女性主人公が多い。これは女性の「エンパワメント」を意識しているからに他ならない。男女参画が叫ばれるなかで、NHKがその旗振り役を担わないわけにはいかない。 そして、その女性主人公がさまざまな困難を乗り越えて目標を達成するためには多少危なっかしい部分も描かなければならない。そんなときには、周囲で主人公に助言を与える役割が重要になる。両親や家族、幼馴染、パートナーなどの「安心感」を担保してくれる人物である。 朝ドラが主人公の半生・生涯を中心に、それをとりまく家族や家庭を描いたホームドラマの体裁となっているのはそういった理由があるのだ。 以上のような「朝ドラツルギー」や特徴から何が導き出せるのか。 ◆いかに半期ごとのシーズンの「色」を出すかが勝負に それは、ステレオタイプに陥りがちなパターンを踏襲しながらも、いかに半期ごとのシーズンの「色」を出すかが勝負になるということだ。 朝ドラは年度の前期が東京NHKの制作(「A制」と呼ばれる)で、後期は大阪NHKの制作(「A制」に対して「B制」と呼ばれる)という分担制だ。 当然、そこにはお互いを意識する気持ちやそれぞれの違いを出そうとする競争心が生まれる。だが、朝ドラが背負っているツルギーは外せない。となると、違いを出して個性を発揮してゆくためには「テーマ」と「主人公像」の2つを工夫するしかないということになるのだ。 その2点において『おむずび』はいささか物足りなさ感が否めない。これらが明確化されていた『虎に翼』に比べて雲泥の差だ。それが視聴率やネットでの不評論に結びついている恐れがあるだろう。 ◆いわゆる〝大阪的な〟「ベタなつくり」が悪いほうに… 時代設定についても視聴者との間に乖離が見られる。 朝ドラは「明治から昭和」もしくは「戦前から戦後」の激動期を描いたものが多く、全111作の60%以上がこの時代にあたる。だが、『おむすび』は平成が舞台のいわゆる「現代もの」、しかも原作がないオリジナル作品である。 制作統括の宇佐川隆史氏は、その理由を「朝ドラの可能性として、1回違うことにトライしてみたいという思いがありました」と語っている。確かに、『らんまん』『ブギウギ』『虎に翼』と前の3作品にはどれもモデルがあり、現代ものとは違う「時代もの」だ。そうやって「意外性」と個性を出したかったのだろうが、視聴者が求めていたものとは少しかけ離れていたようだ。 この視聴者が求めるものにおける乖離は、演出面にも垣間見られる。私の周りの友人たちの多くは、主人公の結が帽子を落として泣いている少年のために海に飛び込み、自分でツッコミを入れて「うちは朝ドラのヒロインか?!」とつぶやいたところでシラケてしまい、見るのをやめたという。こういったいわゆる〝大阪的な〟「ベタなつくり」が悪いほうに出てしまった可能性がある。それもすべて、「A制⇔B制」という競争的な図式が原因となっている。