<連載> Reライフ山歩き部 日本山岳会が創立120周年記念事業で山岳古道調査 歴史や文化を感じる新しい山の楽しみ方 近藤幸夫のReライフ山歩き部 第25回
山岳古道調査 会員が現地歩いて状況調べる
熊野古道のように現在も多くの人々に親しまれ、歩かれている道以外にも、山岳古道はたくさんあります。 公益社団法人でもある日本山岳会は、全国にある山岳古道の文化的、歴史的、地理学的な様々な観点から調査し、その道を整備・保全しようと考えました。 さらに、その情報・状況を会員以外にも公開し、新しい山の楽しみ方を提案し、自治体などの協力を得て道の整備を行いたいとしています。また、案内板や道標の設置、山岳古道のマップを作成し、安全登山に努めれば地域の観光振興にもつながると考えられます。 山岳古道調査は、全国に33ある同会の支部が中心となって行われています。北海道、東北、関東、中部・東海、北陸、近畿、中国、四国、九州・沖縄の各地区に分けて調査をしています。 今回選んだ120の道は、それぞれ複数の古道を含んでいるため結果的に200、あるいは300を超す古道になるとみられます。例えば青森県の「恐山」の参詣道は、4つのルート(川内口、田名部口、大湊口、正津川口)がありました。 調査は2021年から始まり、各支部の会員らが実際に現地を歩いて道の状況を調べました。同時に地元の研究者への聞き取りや文献調査をすることで、歴史的意義や伝説・文学などのストーリー性についても確認しました。 その結果、熊野古道などのような有名な山岳古道以外にも、興味深い道があることが分かりました。
水戸天狗党の悲劇的な末路を偲ばせる 「蠅帽子峠(はえぼうしとうげ)」
私は、岐阜支部の副支部長を務めていることもあり、同支部の古道調査に協力しました。元新聞記者の経歴を見込まれ、日本山岳会のホームページで公開される原稿のチェックを頼まれました。原稿は、ルートの紹介だけなく、古道の歴史や名前の由来などの「ミニ知識」も紹介されていました。 岐阜支部から届いた最初の原稿は「蠅帽子峠(はえぼうしとうげ)」です。まったく聞いたこともない地名です。いったいどこにあるのでしょうか。なぜ120の山岳古道に選ばれたのでしょうか。興味津々で原稿を読み進めました。 蠅帽子峠は、岐阜県本巣市と福井県大野市を結ぶ街道にある峠です。現在では、街道としては使われておらず、岐阜県から福井県に抜けるには、蠅帽子峠に近い国道157号が通る温見峠(ぬくみとうげ)が利用されています。 蠅帽子峠の歴史には、幕末の有名なストーリーがありました。 幕末の混乱期、尊王攘夷を旗印に掲げ、各地で挙兵した水戸天狗党は当時京都にいた、水戸藩と関係の深い一橋慶喜(のちの第15代将軍徳川慶喜)を頼って京都に向かいました。 ところが、関ヶ原の手前で幕府側の大垣藩や彦根藩に行く手を阻まれます。その時に北上して北陸に抜けるのが蠅帽子峠だったのです。峠の名前の由来は「蠅が帽子のように真っ黒になるほど纏わりついたから」とも言われています。 天狗党については、120の山岳古道のうち、長野県の「中山道 和田峠」も関係があるルートです。天狗党は各地で挙兵し、その一部が和田峠を越えようとして高島藩と交戦し、水戸浪士の墓も残っているそうです。 蠅帽子峠のルート(https://kodo.jac1.or.jp/kodo120_detail/41_eboshi/)は、すでにホームページで公開されています。調査した岐阜支部の会員は「登山道はありますが、踏み跡程度。しかし、岩場などの危険な場所がなく、地図とコンパスを使いこなす能力があれば蠅帽子峠まで安全に行けます。ただ、登山口は水量によっては根尾西谷川を登山靴のまま渡らなければならないので、ここが最大の難所です」と話しています。