中田英寿のミスに怒るのは「僕だけだった」 立ち上がった“異端児”…FKも強奪「蹴らせろ」【インタビュー】
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】三都主アレサンドロ:第2回――日本代表時代の今だから語れるエピソード
三都主アレサンドロが日本に帰化したのは、清水エスパルスで絶好調だった2001年11月のこと。翌2002年3月には、親善試合ウクライナ戦で当時のフィリップ・トルシエ日本代表監督に招集され、代表デビューを果たした。サッカー大国ブラジルに生まれ、16歳で日本に渡る決意をした彼が、日本代表選手としてプレーし、2度のワールドカップ(W杯)を戦った、その5年間の思いと、今だから語れるエピソードの裏側を振り返る。(取材・文=藤原清美/全3回の2回目) 【実際の映像】「馬鹿だったね」三都主が1999年の磐田戦でレッドカード→一発退場の瞬間 ◇ ◇ ◇ 「帰化すると決めたのは、多分、1つのプロセスだったと思うんです。それまで長かったんですよね。高校生活があって、エスパルスでの1年目があって、MVP(Jリーグ最優秀選手賞)を獲ってからは、違った喜びを知って。 MVPの選手としていろんな学校を訪ねて、例えば、子どもたちが自分の髪を触るだけで、『すごい!』ってなったり、自分が夢見ていたプロになったことで、逆に自分が夢を与える仕事ができている。そのチャンスをくれたのは、やっぱり日本じゃないですか。 明徳(義塾高等学校)じゃなかったら、ああいうアレックスにはならなかったかもしれないですし。必死だったんですよ。チームも弱くて、自分が頑張らないと次に進めない。パスを出しても、戻って来ないレベルだったので、僕がみんなの分も頑張ろうって。そういう意識があったから、多分エスパルスに合格できたと思う。 7年いたら、友達も彼女も日本人。自分の人生はもう日本だったんです。だから、日本人になるという話を聞いた時に、すごく前向きに考えたんですよね。 申請したあとは1年半以上かかって、やっぱり難しいなぁって思っていたから、許可が下りた時にはすごい嬉しかった。2か月後にトルシエさんから日本代表に呼ばれて、期待されているのも感じられた。 もちろん、どう見ても日本人に見えないので(笑)、外国に行って赤いパスポート見せても、何回も僕の顔と見比べて『お前、日本人なんだ!?』って(笑)。でも、僕にチャンスを与えてくれた、日本のために頑張りたい、自分の道は、日本で日本人として戦うことだって決めていました」 日本代表での彼について、今も言われているのは、中田英寿との関係だ。“日本代表で唯一、中田に言いたいことが言える”というのが評判だった。 「いや、ツネ(宮本恒靖)やほかにも、そういう選手はいましたよ。でも多分、中田のミスでも普通に怒るのは、僕だけだった(笑)。必死だったから。『アレと中田、喧嘩してる?』って何回も聞かれたんですけど(笑)、全然もうヒデとは仲良かった。でも、試合ではヒデも海外で、チームメイトに怒って怒られて、チームのために頑張るっていうのは普通だったので。 まだあの頃、海外に出てた選手が少なかったんですよね。今の代表なら、ほとんどの選手が海外でそういう経験をしていて、だからこそ日本が強くなってきているのもあると思う。まぁその時は、みんな大人しかったんですよね」