中田英寿のミスに怒るのは「僕だけだった」 立ち上がった“異端児”…FKも強奪「蹴らせろ」【インタビュー】
今でも忘れないW杯で通したスルーパス「試合中に鳥肌まで立つのはなかなかない」
中田とのエピソードでもう1つ印象的なのは、2002年W杯でアレックスが初スタメンとなった、決勝トーナメント1回戦の日本対トルコ戦でのことだ。 前半12分に日本が失点したあとの同42分、中田が倒されて、中央左寄り、絶好の位置でFK(フリーキック)を得た。しかし、アレックスが蹴ったそのボールは、バーを叩き、枠の外側へと跳ね返ってしまった。 「あの角度と、チーム内での重みで言うと、もう絶対、中田が蹴る場面じゃないですか。でも、あの時、自分が入れる自信があって『ヒデ、(小野)伸二、僕に蹴らせろ、僕、絶対蹴る』って必死で言って。多分彼らも蹴りたかっただろうけど、あそこで譲ってくれたのが有難かった。あれだけ言ってるんだから、まぁアレもやってくれるだろうって信じてくれたので、そういうのがチームメイトですよね。 決めてたら、もっと良かったんですけど(笑)。中田は『僕が蹴ったほうが良かった』って言ってましたよ(笑)。『決めなかったら、意味ないじゃないか』って」 トルシエ、ジーコ、イビチャ・オシムと、3人の監督の下でプレーした代表の経験から、得るものは多かった。 「トルシエさんとジーコさんは、全然やり方が違った。トルシエさんはすごい厳しく指導するし、全部決めてあって、それにハマるようにやっていく。3-5-2ならこの選手で、こういうことをやる。サイドから攻める、中からこう選手が入るっていう感じで。 ジーコは大違いで、選手の中に入っていって、こういう風にしたほうが良いよ、とは言うんだけど、自分たちが決めないといけない。オシムさんもそうだったけど、そのプレーをする時は監督がいないよって。もちろん、守備には決まり事がある。攻撃もいろんなパターンを練習して、その中で自分が決めるんだけど、自分のリズムで、自分のやりたいことをやりなさいって。それで評価されて、代表に入ってるんだからと。 日本代表がどういう時期だったかというのもあるし、それぞれの伝えようとしていたことが、すごい大事ですよね。選手たちはそれを自分のプラスにして、代表のためにさらに良くなろうと考えないとダメなので、すごく勉強になりましたね」 日本代表で心に刻まれる瞬間がある。 「W杯で玉田にスルーパスを出した時。試合中に鳥肌まで立つのは、なかなかないんですよ」 それは、2006年W杯グループリーグ第3戦、母国ブラジルとの対戦でのこと。立ち上がりから猛攻を受けた日本だったが、前半34分、アレックスのスルーパスから、抜け出した玉田圭司が左足で強烈なシュート。ブラジルから先制点を奪った瞬間だった。試合はその後、ロナウドの2点を含む4ゴールを決められ、最終的に1対4と大敗した。 「玉田が決めた時、鳥肌が立って、何、あの感じ! 『僕らブラジルに勝てるぞ! 頑張ろう、頑張ろう』って。 もう1つ、アジアカップ優勝した時もそう。あの時期は中国と日本の間で、ちょっとバツバツっていうのがあって、そういう時に、中国の満員のスタジアムで、もう絶対に日本に負けないっていう雰囲気の中で優勝した。 そういう経験ってなかなかできないですし、今はそれを子どもたちや選手たちに伝えたりもしてるのでね。みんなの成長をサポートして、ああいう経験に近づくための機会を与えたいですよね」 インタビューの第3回では、アレックスが「日本で学んだことを活かしている」と語る、現在の活動と、尽きることのない夢について綴る。 [プロフィール] 三都主アレサンドロ(さんとす・あれさんどろ)/1977年7月20日生まれ、ブラジル出身。清水エスパルス―浦和レッズ―レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)―名古屋グランパス―栃木SC―FC岐阜―マリンガ(ブラジル)―グレミオ・マリンガ(ブラジル)―PSTC(ブラジル)。鋭い突破力と正確なキックを持ち味とする攻撃的アタッカーとして活躍。2001年に日本へ帰化。日本代表メンバーとして2004年のアジアカップ優勝、2002年に日韓W杯ベスト16進出に貢献した。 [著者プロフィール] 藤原清美(ふじわら・きよみ)/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。
藤原清美 / Kiyomi Fujiwara