現役引退の福田秀平がソフトバンク、ロッテで学び、ハヤテの後輩たちに伝えた「全力プレー」の精神
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。 【写真】新球団で奮闘する元近鉄の守護神 開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。 今回は、ソフトバンクやロッテでプレーし、「エースキラー」と呼ばれた福田秀平。8月1日に現役引退を発表する前、筆者の取材に揺れる胸の内を率直に語っていた。(全15回連載の8回目) ■「チームに貢献するアウト」 「去年は右肩の状態が全然ダメで引退も考えましたが、最後のほうで少し良くなった実感もあり現役続行を決めました。ありがたいことに、くふうハヤテさんからオファーをいただき今現在に至っています。ただ、やはり思うような状態、回復には至っていないのが正直なところです。 毎日、ケアをしたり、コンディションが多少でも上向きになるように努めていますが、やはり難しいところがあるのかな、というのは受け止めざるを得ない。右肩の骨が変形しているので、右手を伸ばしても左肩に届かない。可動域の問題なので改善することはできないですし、それ以上動かそうとすれば痛みが強くなってしまう。可動域と痛みとの戦いですね」 福田は主力投手に強いことから「エースキラー」と呼ばれた。NPB時代の大谷翔平と山本由伸(ともに現ドジャース)からそれぞれ複数本塁打を打っているのは、福田と柳田悠岐(ソフトバンク)のふたりだけである。 福田は決して全国区のスター選手ではなかった。新人から13年間在籍したソフトバンクでは主に控え選手で、4年総額6億円(出来高含む)という大きな期待をされてFA移籍したロッテでは怪我に苦しみ、実力を発揮できないまま戦力外通告を受けた。にもかかわらず、福田はどちらのチームでも愛され、必要とされた。 ソフトバンク在籍時は最強軍団と呼ばれたチームのスーパーサブとして、ここ一番で最高の仕事を見せた。良いか悪いかは別にして、守備でも怪我を恐れずフェンス際のボールにも果敢に食らいつく姿が印象的だった。 ロッテでは、入団してすぐ死球を受けて右肩骨折という大怪我を負い、まともに動かせる状態ではなかったが、やはり大事な場面では確実に仕事をこなし、時にビッグプレーをみせた。結果的に、怪我の癒えない状態で無理に続けたことで右肩の状態を悪化させ、試合出場もままならなくなり戦力外通告を受けたが、チームからは即、コーチ就任要請を受けた。 試合に出ても出なくても関係なくひたむきに練習し「その時」に備える姿勢。成績という数字以上に多大な貢献をするのが福田秀平。それはくふうハヤテでも同じだった。 取材した6月下旬までの福田の成績は打率1割台と、エースキラーと呼ばれた男にとっては絶望的な数字だった。この数字だけで、右肩の状態がいかに悪いか確認するまでもなかった。それでもやはり福田はチームに必要な選手だった。投手の平間凜太郎は福田についてこう話した。