90歳女性、戦後に見合い結婚、貧乏所帯から始めた靴屋が繁盛。夫が帰って来なくても「頑張ろう」と思えたのは、子どもたちとお客様がいてくれたから
人生100年時代と言われ、人が経験したことのない未来が待つ中、戦後の日本を生き抜いてきた90代の方が見ている景色とは。そこには、激動の時代を過ごしたからこその喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが詰まっています。九十有余年の人生から、今を生きる私たちが、明日を明るく迎えるヒントが見つかるかもしれません。池畑栄さん(滋賀県・90歳)は、見合い結婚した相手と靴屋を営み、貧しいながらも必死に暮らしていましたが――(イラスト:北原明日香) * * * * * * * ◆盆・正月の休みもなく、店を切り盛りした 新幹線も開通していない1950年代のことである。東京で働いていた私は、母が体調を崩したのを機に実家に戻り、23歳で見合い結婚することになった。 相手は漫画家志望だったというだけあって、手先の器用な絵のうまい人ではあったが、それではとても生活が成り立ちそうにない。夫婦で大都市に出たものの、憧れの新生活は周囲に知り合いもいない、ただの貧乏所帯。なにか商売を始めようと話し合った。 といっても資本金もないので、私は生まれてはじめて質屋ののれんをくぐった。嫁入りの際、母が仕立ててくれた着物、洋服、編み機など、お金に換えられるものはすべて現金にして、いよいよ開いたのは小さな靴店である。 靴は仕入れるだけでなく、夫が仕立てたものも売る。開店当初は10足程しか商品がないにもかかわらず、少しでも充実しているように見せるため、靴ベラや靴紐などの小物を所狭しと並べた。 その頃は、家にガスも水道も通っていなかった。大家さんからのもらい水である。炊事場は店の横にあり、バケツ一杯の水で乗り切るしかない。いまではとても考えられない暮らしだが、若かったからできたことなのだろう。
靴の製作以外に修理も請け負っており、店は定休日も盆・正月の休みもなく、朝8時に開店、夜は10時まであけた。日を追うごとにお客様は増え、お得意様もつくと、ガスや水道をひくことができてホッとしたものである。 そんなある日、倒産した履物問屋の処分品が出ることになった。大量の高級革草履があるというが、仕入れるためには現金を用意しなくてはならない。私は買ったばかりのテレビなどを質屋に入れ、金策に奔走した。 現代のようにローン会社のない時代。すでに私も、質屋に行くことなどすっかり平気になってしまっていた。早急に現金を用意するには、この道しかないからである。 かつての勤め先で、私は草履の鼻緒の立て方を習ったことがあった。それが思いがけず、役立った。革草履を売る際、ひとりひとりに合った鼻緒を立てることによって、一足の価格を上げることができたのである。 そして満足したお客様が別のお客様を連れてきてくださり、このときは飛ぶように商品が売れた。
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