「なぜ月経ということばを生理と呼び替えるのか」上野千鶴子が思う“フェムテック”
知らないことはわからない、と言えばよい
男と女のカラダは違う。違うカラダを持っている者たちの経験は違う。それを秘して口にしないようにしてきた長い歴史のあとで、こんなにもあっけらかんと、あのね、あのときはこうなるのよ、と女たちがつぎつぎに口にし始めた。 知らないことはわからない、と言えばよい。わからないことは教えてもらえばよい。たとえ自分で経験しなくても、そうなの、たいへんだね、といたわり、いたわられたらよい。女が「いま、月経中なの」「あたし、更年期なの」とオープンに口にして、「だから取り扱い注意。よろしくね」と言えたらよい。 学校の月経教育も女子だけ集めないで、男女共に実施したらよい(とっくにそうなっているところもあると聞いた)。異性がつきあうときには、へえ、こうなんだ、と違うカラダの持ち主に対してじゅうぶんな情報と配慮があればよい。 十代の娘を育てている若い友人の家にお邪魔してトイレを借りたら、トイレの片隅に使用済みの月経用品を捨てるサニタリーボックスが置いてあった。それからよく見えるところに予備のトイレットペーパーに並んで月経用品が積んであった。母も娘も月経現役世代である。彼女には息子もいる。父親と男兄弟の目から月経を隠さずに子どもを育てていることが、一目瞭然だった。時代は変わった。
上野千鶴子