『愛に乱暴』森ガキ侑大監督 ワンシーン・ワンカットのフィルム撮影【Director’s Interview Vol.428】
ワンシーン・ワンカットのフィルム撮影
Q:ワンシーン・ワンカットを収めた図太く荒々しいカメラワークが印象的です。フレームの中で交差する人物の動線も見事ですが、撮影はいかがでしたか。 森ガキ:引き画を撮り、寄り画を撮り、説明カットを撮り…、ということを最初は考えていました。でもそれだと新しいものが生まれない。それよりも桃子視点にして、桃子の体全体でストーリーを追っていく方が良い。それで演出をワンシーン・ワンカットに変えることにしました。画角は4:3のスタンダードサイズにして余分なものは入れず、桃子の視点だけにして桃子の気持ちだけに没頭させたい。それをプロデューサーに伝えると、さすがに戸惑っていましたね。その演出に合わせて脚本も変える必要があったし、普通は許してくれないと思います。でもプロデューサーの横山さんは「理解しました。腹を括ります」と言ってくれた。許可してくれた横山さんには本当に感謝しています。 その演出が決まると、俯瞰で動線をきめて、その動線通りに演出を理解して撮影した重森さんの技術と感性にかなり助けられました Q:役者さんには動きを細かく指示されたのでしょうか、それともカメラの動きの範囲の中で自由にやってもらったのでしょうか。 森ガキ:ここで携帯電話を取って、ここで話してほしいといったルールは決めました。ルールって決めすぎちゃうと余白が生まれなくなるものですが、江口さんはそのルールを守りながらも、毎回違う感情を見せてくれる。かなり高度な技術が必要だったと思います。江口さんじゃないと成立しなかっただろうなと。そこはさすがでしたね。 Q:カメラが肉薄していく様子は、ドキュメンタリーの空気を纏っている感じもありました。 森ガキ:ドキュメンタリーを撮っていたときに、正面から表情を捉えるだけではダメだと気づいたんです。体全体がその人自身を物語っているのだと。この桃子という女性を立体的に捉えるためには、ワンシーン・ワンカットで撮った方が良い。より生々しくなり、リアリティが増すんです。 Q:本作はフィルムでの撮影を敢行されていて、しかも16mmではなく35mmを使用されています。フィルムにこだわった理由を教えてください。 森ガキ:映画って、そう何本も撮れないし、いつも「次が最後かもしれない」と思って撮っています。今回も企画が成立するまでに3~4年かかっていて本当に苦しかった。そうやって、やっと撮れるとなったときには、やっぱりフィルムで勝負したいと思うものです。世界で戦う作品にしたかったし、そこにおけるフィルムの重要性みたいなものを感じていました。プロデューサーとも何度も話して、オーバーした分のフィルム代は監督とカメラマンが自腹で払いますと約束しました。それでやっとフィルムのOKが出たんです。 結果、どのカットも1~2テイクで収まったので、フィルムがオーバーすることはなかったのですが、その緊張感は現場に伝わっていました。デジタルだったら「もう一度やってみよう」とやり直しがききますが、フィルムの場合は失敗出来ない。実際、江口さんもその緊迫感でエンジンがかかったと言っていました。フィルムにはそういう効果もあるのだなと。 Q:撮影は去年の真夏だったそうですが、酷暑のムシムシした感じがフィルムに焼き付いている感じがありました。 森ガキ:「夏に撮って正解でしたね」と色んな人に言われます。夏のギトギトした雰囲気が出ていましたし、(床下の)土を掘るシーンではヒンヤリしたような感じもありましたね。
【関連記事】
- 『人と仕事』森ガキ侑大監督×河村光庸プロデューサーが再定義する、映画の社会意義【Director’s Interview Vol.149】
- Netflixシリーズ「地面師たち」大根仁監督 意識したのは海外ドラマの“容赦のなさ”【Director’s Interview Vol.426】
- 『辰巳』小路紘史監督 自主制作の自由度がもたらすものとは【Director’s Interview Vol.424】
- 『大いなる不在』近浦啓監督 初期作は全てにおいて責任を持ちたかった【Director’s Interview Vol.421】
- 『お母さんが一緒』橋口亮輔監督 リハーサルの雑談から生まれるものとは 【Director’s Interview Vol.420】