ウクライナ軍の「超精鋭部隊」で戦う日本人"BIG BOSS"壮絶戦記!
23年6月、ポーランド東部のジェシュフから鉄道でウクライナに入国。友人からの紹介などで、いくつか入隊先の部隊の候補はあったが、待機時間が長すぎた。 そこでBさんは、ウクライナ軍の兵士で知らない者はいないというチョーズン・カンパニーのサイトからメールを送って直談判し、セレクションを受けるところまでこぎ着けた。 「西側の国を中心に、自国での軍隊経験があり、しかも腕に覚えのある者だけが入隊できるのがチョーズン・カンパニーで、給料もほかより高い額が支払われます。自分は年齢25歳以上、軍隊経験7年以上という条件を満たしていなかったものの、技術・体力のテストや面談を経て特別に入隊が許可されました。 やはり入隊当初は周囲からナメられていたのですが、それが変わったのが、塹壕でのCQB(近接戦闘)訓練でした。戦術理解力、判断力、体力などほぼすべての要素が重要で、それらを兼ね備えているかどうかで動きがまったく違う。自分の動きを見て、周囲の態度が明らかに変わっていきました」 Bさんが入隊した23年6月は、ちょうどウクライナ軍が南部を中心に反転攻勢を始めた時期だった。 「西部や中部の首都キーウあたりまでは、思っていたより穏やかな雰囲気でした。しかし、前線はまったくの別世界です。砲撃が多く、夜空が明るく照らし出され、とにかくうるさい。 銃や防弾ベストなどは部隊から支給されますが、自分は水機の時代からこだわりが強かったので、ウクライナに入国する前に100万円以上かけて、別の国ですべて自前でそろえました」 ウクライナ軍の反転攻勢はロシア軍の強固な防衛線の前に苦戦を強いられ、戦線は膠着。西側諸国からの武器支援が停滞したこともあり、秋以降はむしろ劣勢が伝えられるようになったが、Bさんは多くのミッションをこなし実戦経験を重ねていった。 「市街地戦、拠点制圧、拠点防衛、待ち伏せ攻撃、破壊工作、塹壕襲撃、長距離偵察、夜間襲撃。すべてのミッションを行なうのはチョーズン・カンパニーだけです。おそらく優先的に武器も供給されていたので、支援停滞の影響はそこまで感じませんでした」 そんな中、Bさんは12月に東部ドネツク州の激戦地アウディイウカ(後にウクライナ軍は撤退)で、市街地の敵拠点への夜間襲撃のミッションに参加。この戦いで生死をさまようことになる。