「カフェが混みすぎて座れない」「いじわるベンチを使うのは訪日客だけ」…東京に「座るにも金が要る街」が増えた本質的な理由とは?
■「広場化」に向けられる冷たい視線 しかし、かつて日本人は、空間を「広場」にすることに慣れていた。建築評論家の伊藤ていじは、日本の広場は「広場化することによって存在してきた」(都市デザイン研究体『日本の広場』/2009年・彰国社)という。 例えば、かつて新宿駅西口では「新宿駅西口フォークゲリラ」という反戦活動が大規模に行われたことがあったが、これも本来は駅の通路に過ぎない場所を「広場」のように使って行われたものだった。また、団地の通路なども広場のように使われている事例もあって、日本人が貪欲に空間を「広場」にしてきたことがわかる。
広場という空間が最初から与えられるのではなく、そこを広場のようにしていくのが日本人の特徴だったのだ。かつて渋谷にいたジベタリアンなどは、まさに広場化の典型例だったのかもしれない。 しかし、先ほども触れたような再開発の進展や防犯意識の高まりによって、こうした広場化のきっかけがなくなっていたり、抑えつけられているのではないか。実際、現在では地べたに座ることや、本来座る場所でないところに座る行為には厳しい目が向けられる。昨今のトー横キッズたちに対する厳しい視線もこれを表しているだろう。
そうした意味で「他人の目」を気にすることも、渋谷が「座りにくい」街の1つになっている理由だと、筆者には思えるのだ。 こうした理由が絡み合いながら、渋谷は「座りづらい」街になっている。あるいは、週末はどこのカフェも激混みの様相を呈してくる。 しかし、こう見ていくと、こうした現象はなにも渋谷だけでなく、日本全国のあらゆる場所で起こっていると思えてくる。例えば、新宿だ。 ■新宿や、他の街も「座れない街」になってきている…?
昨年歌舞伎町に誕生した「東急歌舞伎町タワー」は、高層階にラグジュアリーホテルが入り、中層階に入る映画館も「109シネマズプレミアム新宿」といってプレミアム仕様。ちなみにこの映画館の通常チケットは4500円からで、グレードの高いシートは6500円になる。なかなかのお値段だ。 こうしたこともあって、ここ、ある階数以上になると、エスカレーターとその踊り場以外、ほとんど入ることができない。無料でふらりと訪れることが難しいのだ。まさにジェントリフィケーションが進んでいる。