コンプライアンスの「世界線」 窮屈と自由が逆転した昭和と令和、求められる対話と寛容
一方で、コードを守ってさえいれば、現代ならハラスメントと糾弾されるような粗雑な振る舞いや、モラルに触れるような行為はある程度、許容された。「なれ合いと癒着の構造」が生じやすい環境だったともいえる。
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こうした事前規制から解き放たれ、他人に迷惑をかけさえしなければ「自己責任」の名のもとに個々人が自由に振る舞えるようになった現代。ただ、コンプライアンスの下で行動は常に厳しく監視され、わずかな不届きが見つかれば告発され、「制裁」を受けるようになった。
平成16(2004)年に政府の渡航自粛勧告を無視した日本人3人がイラクで武装勢力の人質となった事件では、「自己責任」論が巻き起こった。遭難した登山者らの救助を巡っても、自らの責任を追及する声が目立つ。
伊藤は語る。「事前規制型社会の昭和が『窮屈さの中の自由』を謳歌していた時代だったとすれば、事後監視型社会の現代は『自由の中に窮屈さ』を感じるようになった時代だといえる」
交流サイト(SNS)の普及もあり、インターネット上ではコンプライアンスにそぐわない言動を見とがめては一斉に批判する「炎上」が頻発するようになった。「ふてほど」が現代人に響いたのは、この息苦しさを正直に訴えたものだったからだともいえる。
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だが、郷愁から「昭和はよかった」と、失われたあの時代が再来する「世界線」を願うのは、正しいことだろうか。
性的少数者の権利保護が叫ばれているように、男性が「男らしく」あってもなくても、女性が「女らしく」あってもなくてもいい時代。昭和のころよりもはるかに、個人が自由に生きられる社会であることは確かだ。
「コンプライアンスは元来、われわれを窮屈に縛り付けるためのものなどではなく、むしろ反対に、古めかしい束縛からわれわれを解き放ち、自由にするためのものだった」。伊藤はこうも指摘する。
「ふてほど」では、昭和と令和を行き来する主人公らが、双方の時代に影響を受けていくさまが描かれる。対話と寛容。「不適切」を乗り越えるカギは、そこにある。=敬称略