対馬・壱岐を壊滅状態にした異賊「刀伊」を、なぜ『光る君へ』で竜星涼さん演じる隆家が迎撃したのか?ロバート秋山さん演じる実資との交流から読み解く
『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマでは藤原道長と伊周の権力争いが描かれましたが、伊周の弟・隆家が花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、兄弟は力を失っていきます。しかしその隆家、実は日本を救った英雄と言われているのはご存じでしょうか? 道長の全盛期、九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られて牛馬は斬食されました。特に対馬・壱岐は壊滅状態に…。突如瀕した国家の危機に対応、外敵を撃退したのが隆家だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介します。 花山院に矢を放った伊周・隆家兄弟は「左遷」。左遷先で彼らがどんな扱いを受けたかというと… * * * * * * * ◆隆家の失意 そもそも刀伊の入寇とは… 藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。 道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。 ーーーーー 権力の帰趨は外戚関係の有無が大きい。一条天皇に入内した定子・彰子いずれも皇太子候補を誕生させたが、定子の場合は父道隆の死去で後見を失ったことが影響した。 花山院誤射事件による伊周・隆家の左遷も中関白家に逆風となった。 とはいえ、隆家たちにも希望はあった。定子所生の敦康親王の立太子への望みである。 しかし、それも彰子所生の敦成親王誕生で状況は微妙となる。一条天皇は道長との関係を慮かってか、寛弘8年(1011)の三条天皇への譲位にさいし、将来における東宮として敦成を指名したのだった。 隆家の失望は大きかった。
◆隆家の大宰府下向 その前年に兄伊周が死去しており、定子もその10年前に亡くなっていた。隆家自身の眼病が悪化する中で、いささかの光明は三条天皇の存在だった。 東宮時代、道長との対抗心もあって、隆家はこの三条天皇へ親しみを感じていたようだ。両者は反道長で共闘し得たからだった。 けれどもその三条天皇もまた眼病を患っており、隆家の大宰府下向はそんな失意の環境でのことだった。 隆家の大宰府赴任の3年後、三条院も死去する。さらに敦明親王の東宮辞退で隆家の政治環境はさらに厳しい状況となる。 これに追い討ちをかけるように、寛仁2年(1018)定子所生の敦康親王も死去した。刀伊来襲の1年前のことだった。 隆家にとって辛く苦しいことが続いていたおりでの異賊の来襲だった。
【関連記事】
- 『光る君へ』で竜星涼さん演じる藤原隆家はのちに日本を守った英雄に…あの道長が苦手とした<闘う貴族>隆家とは何者か
- 道長権力増大の中で直面した姉・定子と兄・伊周の死…『光る君へ』で竜星涼さん演じる<闘う貴族>藤原隆家が九州で異民族「刀伊」を迎え撃つまで
- 本郷和人『光る君へ』花山院に矢を放った伊周・隆家兄弟は「左遷」。道隆一族の力が失われるきっかけに…左遷先で彼らはどんな扱いを受けたか
- 本郷和人『光る君へ』藤原兼家のクーデター計画で出家させられた花山天皇。その後は修行僧のような厳しい毎日を送ることになったかというと…
- 紫式部の父・為時を「大国」越前守に抜擢したのは道長?結婚適齢期を過ぎた娘をわざわざ赴任先に連れていった理由とは…